2011年8月21日日曜日

ライフサイクル論<エリクソン>



人生はそれぞれの段階で解決すべき課題がある。

①乳児期(信頼)…子どもが、母親との相互関係の中で、一時的な不信感に耐えて待つことができる「希望」という力を生み出していく時期

②幼児期初期(自律性)…子どもの中で明確な「意志」が芽生え、気に入ることと気に入らないこととをはっきりと表現する時期(第一次反抗期・自我の芽生え)

③遊戯期(主導性)…自分がどのような人間になろうとしているのかを遊びの中で表現する時期。「目的」という意識が強くなり、また、親の持つ社会的規範が取り入れられて、良心が確立するときでもある。

④学童期(生産性)…劣等感を経験しつつ学習をしていく時期。自分が役立っている、物事をうまくやりとげることができるという意識を持つ。

⑤青年期(自我同一性<アイデンティティ>)…自分が社会的現実のなかでどのような位置にあるかを明確にするという、大切な時期である。

⑥成人期(親密・生殖性)…身体的・精神的に成熟し、社会人として生活する時期である。パートナーとの「愛」をはぐくみ、親となって、「世話」ということに関心が強まる。

⑦老年期(統合)…自分自身のこれまでのただ一つの人生を、そのままのものとして受け入れる時期。人生の完結期として重要な意味がある。これは「英知」という強さをもっている。

ところが、これらの課題について、それぞれの時期で失敗するパターンがある。
乳児期においては「不信感」をもつこと、青年期には「自我同一性の拡散」が生じること、成人期には「孤独」に陥ること、そして老人期には「絶望」に支配されること。

オッサンは成人期にあたるので、身体的・精神的に成熟し、独立した社会人として生活する時期であり、若者を導いていく課題を持つはずなのだが、そううまくいくとは限らない。
ライフサイクル的な失敗の段階に入って、「孤独」に陥り、ひどい場合は、老年期の「絶望」を先取りしかねない。

オッサンがよれよれの服やなりふり構わないシャツを着て、酒を飲んでは愚痴をたれまくるのも、基本的な公式の中で起こっていることであって、ある意味、安心していい。
だからといって、それがいいことにはならない、やはり自覚と対策がいる。

他人を愛し、いつくしみ、また、あらたな自己を発見する。そうした自己と他者との連帯性というものを意識することが、絶望的なオッサン化を遠ざけることになる。

                  「オッサンになる人、ならない人」-富増章成-



アジャジャー!わしゃ、完璧に老年期だがな。
今日の今日までオッサンだと思っていたが、いつのまにか通り過ぎとるわな。

しかし、よく考えると、わしゃ、不信感を持ち、反抗もせず(自律性がなく)、目的もなく、劣等感に凝り固まり、アイデンティティなく、孤独でひたすら生殖行為だけ?(アホな)に励み、いまや英知?どすこい無知の塊だがな。
絶望的やな。


S・R-20*5、ST*2、W30*1、DB10*5、F20*5

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