2011年12月31日土曜日

剣山・ジロウギュウ



今年の登り納めの山、剣山とジロウギュウ。
剣山山頂ではお一人、ジロウギュウへの鞍部では山頂ヒュッテのご主人さん、そして若者5人と出合ったが、ジロウギュウの登りでは今日のトレースはなく、二人占め。
気温は零下12度、風もなく素晴らしい天気でした。

疲れてヘロヘロで下山途中、続々と登ってくるご来光組、山頂ヒュッテやテントでのお泊まりだそうです。
明日、天気にな~れ。

2011年12月30日金曜日

時を忘れて



山で、4時間も5時間も座ったまま、水や光、明暗の折り重なり、大きくてやさしい風を見て過ごす。

谷のほとりで、秋の初めの木漏れ日を浴びて、1時間あまり座り、眺望のよい草地に出て、また2時間近く座る。
姿のいいミズナラの前で3、4時間を過ごす。

ヤブをかき分けて道のないところを登ってゆき、沢のしぶきを横にして昼寝をする。
また歩く。
暗くなる。
沼の面に舞う蛍の大群に出合う。
<帰りの時間などどうでもいい>という気持ちになって佇む。

                         -星野和男-

2011年、明日一日になりました。
今夜ぐっすり寝て、明日はお山に。

2011年12月29日木曜日

火の用心



やわらかな陽の光を浴びて 
小鳥たちの歌にわたしの脚は踊る

           若き日の山-串田孫一-

人間世界の法律だの規則だの、やれ規律にマナーにエチケットだのややこしくて難しい。
全部が全部覚えきれないし、守れないわ。
道路一つとっても、公道があって、私道がある。
公道には国道、県道、市道などがあるが、ここを歩いたり走ったりするにはそれぞれのルールがある。
ところが、みんな自転車に乗ってるが、自転車のルールなどは知らない人がほとんどで、知らないなりに走っている。
知らないはずで、教えていない。
自動車学校でわずかに教えてはいても、卒業したらみんな忘れてるのや。
自転車よそこどけそこどけ車が通るという社会だ。

私道なんていうのは、もっとややこしい。
位置指定道路じゃの、2項道路じゃの、なんのこっちゃ。
ドライブウェイじゃのスカイラインも私道に類するものだとか。
今日は勉強になりました。

年が詰まって、外では消防車がのんびりと鐘を鳴らしながら走ってる。
火の用心、マッチ一本火事のもと。


S-20*5、DB10*5、F20*5 、R-25*5

2011年12月28日水曜日

ダウンジャケット



ダウンジャケットの安価なのが市販され、買い求めやすくなった。
なかに本物の羽毛が入っている割合が超低いのもあるが、それでも何%かはフェザーなので、やはり冬は暖かい。
それになんといっても薄くて軽い。
これを着てると、もう他のものは着られないという感じですよ。

鳥の羽、暖かいはずですよね。
でもちょっと待って。
鳥って、夏もそのまま羽毛を着て飛んでますよね。
そりゃーそうだわ、羽根がないと飛ばないよ。
ローストチキンが空を飛ぶ、なーんちゃって。

あれって、やはり夏用と冬用があって、途中で生え替わるんでしょうか。
それにしてもカラスは年がら年中真っ黒けでさぞ暑いことでしょう。

家の断熱材って、その羽毛と同じ原理なんだってね。
要するに冷気・暖気を遮断するからお家は暖かかったり涼しかったりするわけで、とするとダウンは夏に着ると熱も遮断して涼しいっていうことになるよな。

ん?ん?ん?

2011年12月27日火曜日

今日も寒いっ!



なかなか布団から出られなくなりました。
気合いを入れて、エイヤッ!
近所に聞こえそうなくらいに大きなかけ声を出して、わざと布団を跳ね上げます。
そして、たるんで、もうそげ落ちた腕と胸と太ももの筋肉をピクピクッと動かして、マッチョマン・ポーズをするのです。
しかし、ない筋肉は盛り上がるどころか、張り付いた皮でさえ、しわしわでたるみ落ちそうです。
試しに指で皮をつまんで引っ張ると、キューっと3、4cmは伸びます。

指を離します。
すると、一旦伸びた弾力のない皺はなかなか戻りません。
それでもわたしは、今日も走るのです。
なんのために?
さあ~?
たぶん、朝の空気がおいしいから。

J-IRS13*4、DS100*3

2011年12月26日月曜日

さむ~い



朝、布団から出て、いつものようにシナモンティーを入れて、おこたで温々。
しかし、今日は寒い。
こたつの中は暖かいけど、手と頭と体が冷える。

しばらくガマンして新聞など広げてたが、もうダメ。
ストーブに火を着けて、やかんに水を汲んで上に置いた。

ふ~、やっと体が温まってきました。
やかんのお湯もシュンシュンと沸き出した。
早速コーヒーを入れる。
コボコボコボ、沸騰したお湯でのコーヒーは、香りが逃げてるような気がした。
アツツツ、口を火傷するよ。

さて顔を洗って、外へ出るか。
う~っ!
サムッ!
それっ、走れっ!

雪降りてこどもら駆ける朝のみち

          -むらくも-

2011年12月25日日曜日

西山で忘年会



三人で鍋と具、炭ストーブを持って、銅山越周回。
雪がちらつく中を、日浦から登り、奥窯谷を左折し尾根に乗る。
稜線に出て、ツナクリ山辺りでは北風の音が樹木にぶつかり、ゴーッと唸るような音をたてる。

えっちらほっちら、黙々と歩き、寒さも手伝ってシャリバテ気味の頃に西山に着く。
時刻は12時、やれやれ、やっとお昼にありつける。
雪の上にシートを広げ、鍋を囲んで山上での忘年会。

鳥がぐつぐつ、うどんも湯気が出て、海老も白菜も水菜もいい匂い。
2011年あちこちの山行、お疲れ様でした。
今年一年元気で、楽しく和気藹々と山を歩くことができました。

ところで、今年は今回の山行が登り収め?
いえいえ、どうやらそれぞれに登り納めの山を胸に秘めているようでした。
ということで、大晦日までまだまだ山歩きは続くのですが、とりあえず、〆ということで。

かんぱ~い!(^^)!

鳥鍋美味しかった~。


歩行距離9.8km

2011年12月24日土曜日

人間は傲りやすい動物だ




文明は人間の勝利ではなく、意図的敗北の結果である。

                    -串田孫一-

自然は人間の手によって守られているという人がいる。
里山しかり、豊かな田園や農村風景しかり、そこには珍しい野の植物や昆虫たちが営んでいると…、
たしかにそういう風にも見える。
しかし、ほんとうだろうかとあらためて問いかけてみたくなる。
どこまでも疑り深い質なのである。

2011年12月23日金曜日

森と川と海



森が死ぬと川も湖も海までもが死ぬ。
川にダムなどが出来ると、その下に流れる川も海も死ぬ。
ダムが出来るとどうして川が死ぬんだろう、森が死ぬってどういうことなんだろうと誰もが疑問を投げかける。

山に生える様々な落葉広葉樹林は日本の山や森の原風景だが、いつのころからかおそらく国策で、広葉樹が伐採され、杉や桧などがところ構わず植林されてきた。
結果、川に流れる水には豊かな栄養素であるフルボ酸鉄がなくなった。
結果、川に棲んでいたあらゆる生物の減少ばかりでなく、日本の各地の海岸で、赤潮が発生しやすくなり、小魚や貝や海藻が激減してきた。
もちろん、ダムの建設や海岸の埋め立ても追い打ちをかけた。
かつての綺麗な砂浜は消え、小魚の営む藻場は埋め立てられ、川から流れてくる水も栄養の少ない水になってしまった。

その小さな実験場が瀬戸内海なのではないだろうか。
近年とみに小魚がいなくなったばかりでなく、今年はとうとう海苔が赤焼けするという最悪の事態が発生した。

青森県や岩手県をはじめ、東北では落葉広葉樹を山に植林して広めていく運動が少しずつ広がりだした。
すると山の麓の広葉樹の広がりと同時に、減少していたカキやホタテが繁殖するばかりでなく、小魚が群れ泳ぐ豊かな海岸が少しずつ戻ってきだした。
瀬戸内も沿岸奥の山々や河川、そして海岸の状態などをじっくり検証し、改善することも必要なになっているような気がしてならない。

人間による一つの自然の破壊行為は、多くの連鎖する生物をいとも簡単に死に絶やす。
いまなら、元の自然に戻すという手立てを少しずつでもしてやれば、まだ回復する力は十分に残っているとは思うのだが…。

2011年12月22日木曜日

ビバーク



雪の中でもツエルト一つあれば大丈夫。
ウィンドヤッケを着て膝を抱えて寝る。
雨になったらなかで傘を差すと、快適な空間と雨漏り防止に役立つ。

石油コンロとコッヘルがあればもう言うことはない。
ビニロンのツエルトとマナスルストーブだけはどんな山へも持っていくことにした。

           -ある写真家の言葉-(どなただったか忘れましたm(_ _)m)


S-20*5、DB10*5、F20*5 、R-25*5

2011年12月21日水曜日

朝の夕餉



今日も妻は仕事に行った。
いつも済まないね~、朝の食事はいつも作って出かける。

わたしゃ、寒いので湯たんぽ抱えていつまでも布団の中でグズグズ。
これが気持ちいいのよな~、ついつい二度寝してしまう。
脳みそが溶けて腐ってしまいそうなくらいにぐっすり寝る。

いや~、いくらなんでももう起きないと…。
もぞもぞ、布団を跳ね上げて、ガバッ!
お腹が空いた~、朝ごはん。

食卓に座ると…、ん、なんもない。
お茶碗と吸い物椀、お箸がいつもどおりに置かれていて、吸い物椀の傍にちょこんと。
インスタント味噌汁、それも朝餉ならぬ夕餉。

奴め、今日は寝坊したな。
卵焼き作って、シシャモを焼いた。
朝餉も夕餉も味はそれほどには変わらないな。

さーて、今日も一日、がんばろ~っと。

2011年12月20日火曜日

週末に寒波が…



降り続いた雪があがって、からりと晴れ、目を開けていられないほど眩しく日光が新雪に降り注ぐのは幸せを浴びているような楽しさだ。
                             
                              -伊藤整一-
「雪は宇宙の匂いを伝達する」

                              -串田孫一-

テレビでお天気予報のおねえさんが、週末には第一級の寒波がやってくると言ってた。
どうやら木曜日から冷え込むようで、金曜日には平地でも雪が予想され、寒波は長く居座るらしい。


J-IRS13*4、DS100*3

2011年12月19日月曜日

野生児と雪



18世紀末、南フランスのアヴェロンの森で、素っ裸の少年が発見された。
推定年齢11、2歳、ヴィクトールと名付けた。
彼は人間の言葉も習慣もすべてを失っていて、教育をしたが、効果はみられなかった。

…ある朝、彼がまだ床の中にいたとき、大雪が降った。
すると目が覚めるや歓声を挙げて床を離れ、窓辺へ走り寄ったり、戸口へ走り寄ったり、何度も往き来したあと、とうとう衣服も着かけで庭へ突進した。
庭ではつんざくような叫び声で歓びを表現し、雪の中を走ったり、転んだりし、手にいっぱい雪を集めて何ともいえぬ熱心さでそれを楽しんだ。
いつも退屈で、単調に体を揺すってもの悲しげに野原を眺めているヴィクトール。
突然に歓びを爆発させた。

                            北国のこころ-高田宏-

2011年12月18日日曜日

雪遊びⅡ



子どもたちの雪遊びは北国のあちこちにある。
「ホウバコギ」
「ガンガンドワタリ」
「雪ン空」
「地吹雪の雪原遊び」

ホウバコギに似た遊びに「ゴンボコギ」というのがあって、それは…

股引股の付け根まで巻き上げる。
そして跣になって、どこかそのへんの畑へ飛び出していく。
雪の上面ががちがちになっているときは、皮膚が切れるように痛むが、傷がついて血が出ることは絶対にない。

冷たいからみんな一散に走る。
そして一回りして一散に帰ってくる。
それだけだ、それが楽しい。
足首から股まで赤くなっている。
濡れたのを手ぬぐいでふいて、そこでなんとなくお互いに顔を見合わせてにやりとする。

                           梨の花-中野重治-



今日はツーリングの日、用事のある人、体調の優れない人いろいろあって集まったメンバーは5人、弥谷寺まで走って、寒くて暖まらないままいつもの喫茶店に飛び込んだ。サムッ!                     

BR-38km、S-20*5、DB10*5、F20*5 、R-25*5

2011年12月17日土曜日

雪遊び



東京に珍しく大雪が降った日、うちにいた未だ幼い猫、サチという三毛猫が、庭に積もった雪の中を駆け回ったことがある。
はじめは濡れ縁に出て、白い庭を不思議そうに見ていた。
そのうちにいきなり雪の中にジャンプした。

雪に潜り、雪を蹴散らかして、右へ左へ走り回る。
そしてひとしきり走ると濡れ縁に戻ってきて、両手両足の雪を振り払い、舌で舐めとり、暖まってくるとまた新雪へ飛び出していった。

                           北国のこころ-高田宏-

子どもたちが雪が降ると大喜びをして外で走り舞いをするのですが、人も動物も同じようです。
太古からのなにかがそうさせているのでしょうね。


         -ピサの斜塔ならぬ、長い年月の間に傾いてしまったお地蔵さん-

2011年12月16日金曜日

寒い、走れ~



寒波がやってきた、外は寒い。
車が、車検に出して以後、調子がおかしい。
ディラーにて見て貰っているので、バイクで図書館に本を返しに行った。
あまりにも寒いので、ちょいとうどん屋さんに寄って、熱いのをいっぱい。
ふ~、しんから暖まった。
えーい、このままジョギングをしちまえ、もっと身体が温まるぞ。
走った。

どぶどぶどぶ!
うどんが胃の中で踊っている。
海老などの踊り食いなんていうのは聞いたことあるが、うどんの食い踊りなんていうのは、様にならんぞな。
しかし、うどんの消化は早い、走っている間にもうエネルギーに変わったのかしゃんいくらでも走れる。
あれま、普段6kmしか走ってないのに、今日は2kmもよころに走って、8kmになったが。
まだ走れそうだったが、もう止めとこう。
明日になって筋肉痛が出たのではなんもならん。

しかし、うれしい誤算。
来年の初夏頃までに、ジョギングの目標を10km達成と思っていたが、これで少し早まったようだ。
春までには10kmを走ってる…かな。

J-MK13*4、DS100*3

2011年12月15日木曜日

持ち帰った焼き餅



山で食べきれなくて、持ち帰った餅、今日焼き餅にして食べてみた。
正月には早すぎたが、夕方わんちゃんと散歩していると、なんともいえないいい匂いがお隣から漂ってくる。
お餅を焼く香ばしい匂いだ。
そうだ、山から持ち帰った餅があったぞ。

オーブンに入れて、6分間のチン。
いい感じでプーッと脹れてきた。
あちち、急いで取り出して、粒あんをまぶす。
ふ~!甘くて美味しい。
モチモチで柔らかい。

やっぱり空気の美味しい景色のいい山頂で食べてみたいよな。
次回も持っていこう。

2011年12月14日水曜日

里はまだ秋?



今週末には冬将軍が南下してくるとか、古いエアコンが壊れたので昨日急いでストーブを買いに行った。
家にはガスストーブもあるのだが、なにしろ経費が高くついて適わない。
灯油ストーブにした。
ところが灯油にも二種類ある。
妻に聞いたところ、ファンヒーターでない芯で燃やすやつと言う。
なぜ?
ファ~イ?
ファンヒーターは部屋を暖めるのに効率は良いが、ヤカンや鍋を乗せても沸かないが、芯で燃やすストーブはお湯を沸かしたり、煮物が出来るという。
なるほどエコなのだ。
冷えた日にはストーブで温まり、その上でお湯を沸かし、湯たんぽに使う。
なんと便利でないか。

今日は公園に行って運動がてらに階段を登ったりしながらのんびりと散歩をした。
すると公園にはまだまだ綺麗な紅葉が…。
秋はまだ終わってなかった。



S-20*5、DB10*5、F20*5 、R-25*5

2011年12月12日月曜日

森への親しみと畏敬



「ここへ畑起こしていいかあ」
「いいぞお」森が一斉にこたえました。
みんなはまた叫びました。
「ここに家建てていいかあ」
「ようし」森は一ぺんにこたえました。
みんなはまた声をそろえてたずねました。
「ここで火を焚いてもいいかあ」
「いいぞお」森は一ぺんにこたえました。
みんなはまた叫びました。
「少し木を貰っていいかあ」
「ようし」森は一斉にこたえました。
  
                  狼森と笊森、盗森-宮沢賢治-

山々の間に人々がとかく住むとき、大切なのは森の恵み、森への畏敬なしには暮らしは成り立たない。

                  北国のこころ-高田宏-


J-KP*4、DS100*3

2011年12月11日日曜日

すべての命に共感を



北国で雪が溶け春になると良寛さんは子どもたちと一緒に手鞠をついて遊んだ。

「この里に手鞠つきつつ子どもらと遊ぶ春日は暮れずともよし」

ある日、嫁ぐ女子に

「しやうあるもの 鳥獣にいたるまで なさけをかくべきこと」と教える。

命のあるものには、鳥獣にいたるまで情けをおかけなさい、つまりすべての命に共感を持ち心を通わせて生きよ

ということ。

われわれ現代に通じる言葉だと思った。

2011年12月10日土曜日

東光森山へ



四国のお山にも本格的な雪。
地獄谷に流れる水の音を聞きながら、雪笹を潜りながら東光森山の稜線を這い上がった。
ときおり枝から落ちる雪が頭や首筋に直撃し、あまりの冷たさに奇声を発する。
湿り気のある雪はたちまちに着ているものを濡らし、手は真っ赤、カメラもずぶ濡れ、落ち葉の上に積もった雪は何度となく足を滑らす。
光森山手前の鞍部でシートを広げ、山での忘年会。
手作りの小さなロケットストーブで手を温めながら食べたロースビーフ、美味しかった。


歩行距離11.6km

2011年12月9日金曜日

お山の雪



今日は今シーズン阿讃山脈初冠雪の日

こな雪
つぶ雪
わた雪
みず雪
かた雪
ざらめ雪
こおり雪

これは太宰治が詠んだ津軽の雪
昨夜から降ったお山の雪はどんな雪かな?
楽しみだね、早速歩いてこよう。

2011年12月8日木曜日

山を愛する



日本は山国である。
どこへいっても山の見えないところはない。
市や町や村を見おろす形のいい山が立っていて、そこの学校の校歌に必ず詠み込まれるといった風である。
日本の国民は大抵山を見ながら育った。
東京だけは山に遠いが、しかし煤煙の少なかった昔は、富士山や筑波山が重要な背景であった。
日本人ほど山を崇び山に親しんだ国民は世界に類がない。
国を肇めた昔から山に縁があり、どの芸術の分野にも山を取り扱わなかったものはない。
近年殊のほか登山が盛んになって、登山ブームなどと言われるが、それはただ一時に起こった流行ではない。
日本人の心の底にはいつも山があったのである。

山という大自然の中に入って、精神の自由を満喫するのが山登りの醍醐味。
登山は体力を競い記録を競うスポーツではない。

                                  -深田久弥-

1971年3月21日、山梨県の茅ヶ岳に登っていて、山頂近くの尾根に出たところで脳卒中に倒れ、68歳の生涯を山で終えた。


S-10*5、DB10*5、F10*5 、R-20*5

2011年12月7日水曜日

泣く



散髪に行った。
いつもの床屋さん、おしゃべりの大好きなおばちゃん、今日は少し寒いのか、ほんの心持ちだけ口の動きが鈍い。
しかし、こんなことを言った。

「お金は持てば持つほど欲がますます深まるぞな、あんた。どうもそんな気がする。」
「あたしゃ~、そんな人よけ~こと見てきた。」
「ところが不思議なもんでな、お金を持ってない人はあっさりさっぱりした人が多い。」
「こういう人はほんま気持ちがええ人やがな。」

「なるほどな~、一理あるわ。」
「お金を持ってないと、それ以上減る心配ないしなんも考える必要ないわな、持てば持つほどそれを運用したくなるし、その為に欲の皮がつっぱりそうや。」
「は~、なるほど、ほいでわしゃ気立てのいいあっさりっとした性格なんやな、アハハ。道理でお金がさっぱりないと思うたわいや。」

「そうやな、あんたお金持ってないのすぐに分かるわ、人は見かけどおりやな。」
「………」

2011年12月6日火曜日

山を想う



石川啄木は山をこよなく愛した。
とくに故郷の山を…。

詩二首

山の子の
山を思ふがごとくにも
かなしきときは君を思へり

今日 ひょいと山が恋しくて
山に来ぬ
去年 腰掛けし石をさがすかな


もう一首 有名な詩

ふるさとの山に向かひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな


J-CR*4、DS100*3

2011年12月5日月曜日

強い冷え込み



お山はあちこちで白くなっているようだ。
剣山も石鎚山も霧氷で真っ白。
井川スキー場ではまだ人工雪だがそれでもたくさんの若者が平日にもかかわらず押しかけて、スノボーを楽しんでいる。

これからの高所の林道などでは注意しないとアイスバーンが山陰で見られるようになった。
8日の木曜日に一旦お天気が崩れたあと、翌日からは相当な冷え込みが予想されている。
いよいよ冬本番、お山はこれから一気に白銀の世界に変わる。


      「生きるとは、想い出すこと。人は想い出すために生きる。」

                        セ・シ・ボン -平 安寿子-

2011年12月4日日曜日

ツーリング



今日は新しいメンバーが一名加わってまんのう池へ。
お天気好くて、12月だというのに気温も高く、ツーリング日和。
走ってると同じくロードバイクで走る何人もの若者たちに出合う。
登山と同じく、ロードバイクを楽しむ若者たちが随分と増えましたね。
こちらは山と違ってまだ女性は少ないようです。

まんのう池ではのんびりと鮒釣りを楽しむ人。
長い竿で浮き釣りをしてるのはゲンゴロウブナ狙いでしょうか。
この釣りは中りを見極めるのも、合わせるのも非常に難しいらしい。
いわゆる釣り人の間では王道といわれている釣りのようです。

いつもの東屋ではちょっとした地元の方による新鮮市。
おはぎを買ったところ一個サービスしてくれて、7人で頬張りました。
甘くて美味しい、おばちゃん、ありがとう、ごちそうさんでした。


RB-55km

2011年12月3日土曜日

お祭りⅡ



昨日に続いて今日もお祭り。
奇祭といっていいかどうか、それは人それぞれの思いというか判断に委ねるが、そういうお祭りは全国いたる所にあって、思いがけず身近なところにもあるものです。
しかし、普段それに接している人たちはそれが奇祭だなどとはこれっぽちも考えていないかもしれない。
なにしろ子どもの頃から慣れ親しんでいるのですから。
四国のあちこちで催される秋の大祭と太鼓台、これをちょうさと呼ぶ。
上に五条の布団みたいなものがあって、柱があって大太鼓がデンと備え付けられ、トンボが垂れ下がり、なんだかものすごい掛け布団が、それはトラであったり竜であったり、血走らせた目玉がぎょろりと睨みつける。
なかで太鼓を叩く人、五条の上で竿を持って、木の枝を除ける人、担ぎ棒の上に乗って、囃す人、担ぎ棒に寄って集って、ちょうさを揺らし、担ぎ上げ、手を離して、土に叩きつける。
ときには隣村のちょうさと大喧嘩、昔は死人がでたくらいに興奮きわまりないくらいに暴れた。
ちょうさ祭りを始めて見た人は、あまりの迫力に驚いて、そしてやがて引き込まれトランス状態にはまり込む。
しかし、それでも奇祭とはいえないようだ。

高松市の香川町浅野にひょうげ祭りというのがあって、9月になると催される。
男が頭にカツラをかぶり、顔にユニークな化粧をほどこす。
笑ってしまいたくなるような異様な化粧だ。
それだけではない、思い思いのアイデアで野菜や家庭用品を使って変装をする。
御輿も植物などでの手作り。
この祭りで奇なのは他にもある。
手作りの馬には異常に大きな竿と玉がくっついている。
これが動くのである。
操作すると長い竿がグーッと動き、竿の先っぽから、何かの液体が飛び出る。
現在もやっているかどうかは分からないが。
なんだこりゃ???
こんな祭りありかよ?というようなお祭りです。

要するにお祭りとは年に一度の馬鹿げて楽しいもの。
このあと讃岐には秋の実りの豊作が待っている。


S・R-20*5、DB10*5、F20*5

2011年12月2日金曜日

お祭り



日本という国は面白い国だ。
一年365日、全国のどこかで祭りが行われているらしい。
因みに神社の数は全国に10万以上あり、その祭りの数たるや30万以上におよぶとか。(神社本庁調べ)

そしてこの祭りごとが実にユニークでばかばかしいことこのうえない。
おっぱい祭り、むこ投げ、尻振り祭り、なめくじ祭りなどなど。
今月の第一日曜日には大分県の豊後大野市でひょうたん祭りが行われる。
真っ赤な衣装を着て、頭と腰に長くて大きいひょうたんをぶら下げて練り歩く。
履いている草鞋は1mにもなる。

頭にかぶった長いヒョウタンの先っぽは奇妙なことにくぼみがついている。
腰にぶら下げたひょうたんには白い濁り酒が入っている。
どいうわけか、女性たちがこれに群がり、白い濁り酒をいただく。
う~ん、意味わからん、というか分かっててもわざと分かろうとしない、男も女も子どもたちもみんな暗黙なのだ。

祭りとは要するに馬鹿笑いと馬鹿騒ぎ、こんな祭りが全国にある。
見に行きたいものだ。

2011年12月1日木曜日

TPP



TPP問題が大きくクローズアップされている。
随分と大昔に自民党政権時代にもお米などの輸入自由化問題が大きな問題になったことがあるが、その後農産物や肉、石材、木材など多くの輸入の規制が大幅に緩和さたり取り払われたことがある。
結果、外国産の安い農産物や肉などが市場を席巻し、日本の多くの農業、林業、石材業などが成り立たなくなった。
もちろんこれだけが原因ではないが、大きな原因となって地方経済を麻痺させ、格差社会を招いた。
島しょ部や農村部、山間部いたるところで生活が維持できなくなり、若者は流出し限界集落が生じている。
あるところではそれまで3000人も生活していたその集落の人口が激減し、いまやその1/10の300人、あと10~20年もすれば、人はいなくなるとさえいわれている。

TPP交渉参加。
これには驚いているし、関係者の不安は募るばかり。

現在の農業などの収入でも限界なのに、これ以上どうやって食べていけばいいのか、声にならない状態を産んでいる。
政府はいみじくも言う。
活力と競争力のある農業を作り上げよう…と。

どうやって???

かつて自由化が叫ばれたとき、同じように大規模農業への集約が叫ばれたのではないのか。
そして、政府の補助の元に多くの農家はそれをやってきた、にもかかわらず、農業を離れる人はあとを絶たなかった。
時を経て、地方の貧困が目立ち、選挙でも地方の切り捨てと格差が叫ばれるようになったが、いままた同じ轍を踏もうとしている。
関係者の方は口を揃えて言う。
「もうダメだ」…と。

政治問題、踏み込みたくないが、言わずにいられない状態だ。