2014年1月31日金曜日

七宝山散歩Ⅲ

 
昨日とは一転して雲一つない、いい天気
今日は七宝山東の宮池(七宝山トンネル南東)から登ってみました
 
 
南郷や下司および岩屋寺の登り口には
道標がありますが、こちらにはなにもなし
(※訂正しお詫び、後日に小さな道標を発見しました)
 
宮池の北西側にある車道を上っていくと
途中から歩きよい山道に、すぐに景色が開け
箱庭のような三豊平野を眺めながらの登りとなる
 
※眼下の大きな溜め池は宮池で
その奥に見える山間が国道11号の走る六松
右一番上に見えている山が鳥越山

 
オオイヌフグリ

 
これはクサフジ
本来の開花は5~7月なんですが
この暖かさでもう咲いてます

 
こちらはクサフジとそっくりな花でツルフジバカマ?
開花は8~9月なんですが…
見間違いかな???

 
山条山と爺神山、左奥には黒戸山塊、
真ん中奥に五岳山と右奥に大麻山
 
いつものパラグライダ-広場では
海からの潮風がす-っと吹き上がってきてなんとも心地よく
青空にはトンビがくる-りくるくる
お~い!そこから東京さ、見えるかや
見えたら降りてきてくれや~い♪
ほほ-いのほ-い♪

2014年1月30日木曜日

七宝山山麓の狛犬

 
 
おっかさん、おれおれ
オレだよ
最近は外国人からも電話が掛かってくるそうな、御用心
 
 
岩屋寺の狛犬
チンのようなブルドッグのような迫力あるわ 
 

2014年1月29日水曜日

みかん畑の散歩道

 
8時半起床、窓の外は青空が広がり
おひさんがぽかぽか
ばたばたばたっとお布団を干して
急いで散歩に
 
 
今日は車で裏山の北側へ行き
ちょっとした公園に車を止めて、そこから歩く
そこはみかん畑の広がる七宝山の裾野
海の景色が広がる畑道を登っていくと
袋掛けをしたみかんの木
これから収穫のようですがどんな種類のみかんでしょうか?

 
道沿いの石垣には気の早いカタバミが二輪

 
ハコベもたくさん咲いてました

 
これは灌水のためのスプリンクラ-
夏になるとみかんの木にシャワ-をする光景を見ることが出来る

 
展望のいいところで荘内半島の山並みをパノラマ撮り
右端から
真平山-高尾木山-妙見山-横峯山-紫雲出山と続く
そして最先端が三崎灯台
三崎灯台からは目の前の海に御幸石という
小さな岩礁があって
好釣ポイントとなっているところを眺めることが出来る
 
今日も1月とは思えない気温で12度にもなりました
立春は2月4日ですが、瀬戸内はもう、すっかり春の気候
 

2014年1月28日火曜日

佐柳島からの俯瞰図

 
カシミ-ルでカシバ-ドを立ち上げ
多度津沖に浮かぶ
佐柳島から剣山系・祖谷山j系を俯瞰
 
 
黒戸山を中心にして

 
ぐっと高度を上げてみると
こんな風になりました
 
お天気が好くて空気が澄んでいれば
瀬戸内海からはこんな景色が見られますよ

曽保散策

 
七宝山から曽保に下って
みかん畑を散歩
ここにもイノシシが出没しているようで
捕獲用の大きな檻が据え付けられてました
上のみかん畑への入口には電気柵が
施されており、迂闊には歩けない
 
 
これは収穫したみかんなどを運搬する
作業用モノレ-ル
小さな子どもさんなら乗って遊べるでしょうね
昔、わたしも機会があって
八幡浜でみかん狩りを手伝ったことがあるのですが
その畑からは佐田岬や九州が見えて
一日のんびりした想い出があります

 
景色のいいところがあったので
少し失礼して電気柵を跨いで畑の中へ
みかんの木越しに見える小さな島は仁尾の沖にある
大蔦島と小蔦島、その向こうに丸山島
奥には古三崎でしょうか、荘内半島の
紫雲出山麓にある三崎のようです
みかん狩りをしながら一日のんびり
するのもいいものですが、最近はね~、
労働量に見合わない収入なので
あまりお勧めはできませんね

2014年1月27日月曜日

七宝山散歩Ⅱ

 
絶好の布団干し日和
なので、またまた裏山散策
ベンチのある展望所から気持ちのよい尾根道を辿って
パラグライダ-基地へ
 
 
基地広場に坐って海を眺めながら
少し甘い紅茶とだんごをいただく
だんごはキナコに小豆あんにヨモギの三兄弟
こんなのを毎日食べてちゃ、糖尿病になるな~
 気にしつつも、一串だけ残して誤魔化す自分がいた 

 
コウヤボウキが西日を受けて
落ち葉の上でぽっかり浮かび輝いてました

2014年1月26日日曜日

七宝山散歩

朝から雨が降ったり止んだりの一日
合間を縫って裏山の七宝山へ
今日は下司登り口から歩いて433P-426P志保山を
回って南郷の下山口へ
この道は手入れがよく行き届き、子どもの頃の里山を
そのままに残している所です
 
 
志保山中腹から眺めた三豊平野
左奥の山並みが天霧山・弥谷山・黒戸山、右奥が五岳山
その右が大麻山、手前右に山条山と爺神山

 
パラグライダ-基地の広場から眺めた瀬戸の海
対岸に見える山並みや島々は
広島の尾道やしまなみ海道の因島・大島・伯方島辺り
遠いようでも、ここから眺めるとすぐそこに、
手が届くところに見えます
 
-雨後のしっとり散歩-

2014年1月25日土曜日

伊予富士へ

 
1月だというのに日中の気温が17度に跳ね上がった
雪は融け、ベタベタの腐れ雪
暑くてジャケットを脱いで歩くが、それでも汗が滲む

 
うさぎの足跡

 
イタチの足跡

 
寒風山と笹ヶ峰、冠山
 
 
東黒森、自念子ノ頭、西黒森、瓶ヶ森
真ん中奥に小さく石鎚山
 
復路、鷹ノ巣山分岐からの下りでは
斜面にはスノーボールがいくつも転がっており
雪崩やしないかと、気持ちが悪かったので
妻と距離を置いて歩く

2014年1月24日金曜日

虫たちの残して行ったもの

 
 
春のような陽気
裏山に登って瀬戸の海を眺めながらしばらくお昼寝
 
ぽかぽかと冬の日差しに葉の透けて
 
下側の青い葉の日陰のところにも
虫が食べた跡が残ってた
どこかの国の文字のような不思議な模様でした
 
-七宝山-

2014年1月23日木曜日

鬼ヶ臼山

 
ポカポカ陽気、三豊にある鬼ヶ臼山を
歩いてきました
麓の登山口からはおとなりのりゅうおんさんに寄ってもわずかに20分 

 
この岩が鬼ヶ臼山伝説の釜石
その昔、鬼が棲んでいて
麓の住人をつかまえてきてはそれを臼で摺ってはだんごにして食って
首を谷へ投げ捨てていたそうな
 
-新しい防水・防塵カメラで撮影-

2014年1月22日水曜日

サネカズラの実

 
 
富士山は、アイヌ語にフチという言葉があって
火の女神の名だそうで
一説によるとこれに由来しているとも言われている
また、同じくアイヌ語にプシュという言葉があって
意味は突然現れるだそうだ
富士山は活火山で突然に爆発し
周りの山を埋め尽くし、こつ然と現れたことから由来しているとも
 
富士山の登山口の一つに須走があるが
アイヌ語ではスバシリ=蒸気を出す土という意味だとか
 
-ウォルタ-・ウェストン 日本アルプス再訪参考-
 
昔、富士山は不二山とも不死山とも言われていた
もっと遡ってみると
もともと山がなくただ単にフジと言ってたらしいので
上記の説、説得力がある
 

あたりみかん

 
 
古本屋さんで小一時間粘って本を漁った
8冊ほど読みたいのが見つかった
その中の1冊、女優の沢村禎子さんが書いた
「私の浅草」というエッセイを早速読んでみた
 
冒頭に「あたりみかん」というエッセイがあった
いわゆるくず物のみかんのことで
形がふぞろいで大きすぎたり小さすぎたり
歪だったり少し皮の所に傷があったりするもので
味は値のつくものと少しも変わらないのですが
市場に出荷しても値段にならない
農家泣かせだ
 
しかし、これが市場に出回って買って行かれる方には
結構人気があって、なかには
値のつくものよりも相当に美味しいものがある
これに当たれば本当の当たりだ
 
妻の実家がみかんを作っている農家だが
家族はわざわざ値のつかないやや小粒
のみかんを好んで食べていた
農家なので当然のことなのですが
少し小粒のみかんが出荷されるみかんや
大粒のみかんより甘くて美味しいことを知っていたのです
 
こたつで、これ当たり、これ外れなどといっては
より分けて食べていた
みかんの形、皮の色つやや状態によって
甘いか酸っぱいかはたまただすっぽいのか
見た目にもすぐに選別できた
 
あたりはずれはみかんだけでなく
いろいろなものに当てはまりそうですね
 
-塔ノ丸、雪の風紋-

2014年1月20日月曜日

塔ノ丸

1月19日剣山に登るため貞光から438号線を見ノ越へと走るが
雪深くスキ-場先で車は立ち往生
スキ-場に引き返して、塔ノ丸へ
 
 
9:10、スキ-場から樹林帯へ入り尾根歩き
先行されてた香川からの男性お二人に追いつき
このあと山頂まで妻と四人でラッセル交替しながらエッチラホッチラ
 
 
10:18、夫婦池からの縦走路と合流
今季初めての雪山、おとぎの国のような景色

 
青空も広がり、顔は雪焼けてメラニンの多いわたし、たちまち真っ黒け

 
ときどき風が吹き、雪煙が舞う
樹木のない稜線ではシュカブラが広がっていた

 
歩いてきた後ろを振り返ってみた
東の空は雲が広がり、その白いガスは風に乗って
剣山とジロウギュウの頂を被っている

 
もうすぐ山頂だ
麓、一宇から正午のサイレンが聞こえてくる

 
いつまでいつまでも、眺めて飽きない祖谷の山並みが
深く静かに佇んでいた
12:45、山頂から離れ鞍部へ下り
次の小さなピークに差し掛かったところで
前方から歩いてくるお一人の女性
あれま~、と突然の楽しい会話が妻との間で始まった
剣昔乙女さんでした
 
 
途中、カメラを落とし一時間ほどウロキョロ
15:23、スキ-場へ降り立った
親子連れで楽しい雪遊び
ピンクのつなぎを着た小さな女の子
こんにちは、可愛いですね
 
-写真提供ピオ-ネでした-

2014年1月18日土曜日

生肝生血文化

 
 
まだ十分に若い頃
知り合いの散髪屋さんが
家の軒下にまむし(毒蛇)の生身を干して乾燥させていた
何に使うのか訊ねたところ
これを粉にして、水に溶いたものを
傷口に塗ると、ピタリと血が止まり治るとのこと
彼は、散髪の時にハサミを使っていて
ときどき誤って指を切ってしまうのだそうだ
 
それだけではない
このあとおとろしい話をしてくれた
生け捕りにしたまむしの皮を剥いで
身を開いた後、まだトクトクと動いている心臓を取り出し
これをそのまま食べるのだそうだ
そうするとえらいこと精力がついて
健康になるとのこと
 
食べたことはないので嘘か本当かは分からないが
たぶん、その気になっているだけのことではないかと想像している
まむしの心臓はすぐには動くのを止めない
いつまでも動いていることから
精力の元のように思っていたのだろう
 
これによく似た風習が他にもある
例えば熊の場合も、昔は殺害した後
内臓を取り出し、なまのまま食う
熊は森の最強の動物、それを食べることによって
そのパワ-を貰おうという考えからの儀式だったようだ
 
その他、カモシカの肝臓などなど
いまでもすっぽんの生き血などは
カクテルにして飲んでいる人がいるというから驚きだ
 
※文章と写真は無関係

2014年1月17日金曜日

皮膚と鉄物が張り付いたときは…

 
 
凍りつくほど寒い季節に
外で鍬などを持って畑作業を続けていると腰が疲れる
「一休み」などと呟きながら
「やれやれ、どっこいしょ」座り込んで鍬を手元に置いて
持ってきていたポットから熱いお茶をコップに注ぎこみ
それを飲む
「あちゃちゃちゃ~」お茶をこぼして熱いお湯が手に掛かって
思わず振り払って、指を冷やすために
咄嗟に鍬の先の刃を握る
ところが、この日は手水の水が分厚く凍りつくほど寒い日
手に着いたお湯がたちまち凍りつき
刃に張り付いてしまった
 
そんなときにはポットのお湯を張り付いた
指の皮膚に掛ければ何事もなくすぐに離れるのですが
慌てて、引きはがすと皮膚が破けて、
鍬の刃に残り、血が噴き出すハメになる
もしも、このときお湯がポットに残ってないときにはどうするか
直ぐに離すにはションベンを振りかければいい
手の指くらいだと振りかけても、まあ、たいしたことない
 
ある日、小刀で小さな木っ端を切っているときに
作業しやすいように小刀を口にくわえてしまったのです
唇は吐く息などで少し濡れている
たちまちに凍りついてピシッと張り付いてしまった
 
それを見た同僚がやったのです
効果てきめん、唇の皮は破れず、血を見ることは
ありませんでしたが
感謝の言葉はなく、気まずい時間が流れた
 
唇を小刀に吸い取られた本人は
この野郎、どさくさに紛れてわざとやったんじゃないか
と思いながらも、一方で助けて貰ったという複雑な思いを抱いている
 
小便をかけた同僚は「助けてやらねば」と思いながらも
オ-ッ、これはこれは絶好のチャンス、これを逃す手はない
と思ってたに違いないのです
 
ここで感謝して「ありがとう」などと言ったら
相手の思う壺、にんまりされて、してやったり顔を
されるだけですわ
 
しかし、あの生温かい臭い小便を顔に口にとは、
目に入るわ、鼻の穴にも入るわで情けないわな~

2014年1月16日木曜日

ラッセル泥棒

 
 
雪の降った翌日の山歩きは大変である
積雪が膝以上にもなるとかなりしんどい
腰以上胸辺りにもなると100m進むのに
一時間以上掛かったりすることになる
 
そこでずる賢い人は誰かが歩くまで
ジッとどこかで待っていて
踏み跡が出来たらやれこらどっこいしょと
腰を上げて前の人が作った雪道を歩き出す
これをやると非常に楽ちんでスピードも速く疲れない
こういうのをラッセル泥棒というが
今に始まったことではなくて
昔からこういう人はいたそうだ
 
「雪道と鰹節汁は後ほどよい」
ということわざもあったそうで
こういう人は非常に嫌われ
「人に顔を見られるようなことはしんなよ」
と叱られたとか
 
※鰹節汁は後ほどいい出汁が出ていて美味しい

2014年1月15日水曜日

街角のお地蔵さん?

 
 
亡者送り
 
浅草観音堂では年中行事の一つとして毎年1月12日から18日まで
坊さんの読経とともに炬火を振りかざしながら亡者送りが行われる
炬火の燃えがらはその年の災難よけのお守りになるので
焼けた木片が地面に落ちるとみなさん競って拾うそうです
 
災難はいろいろ,
思わぬ事故、病気、災害などなどですが
女性たちが切実に思ってることは
実は旦那の浮気
このどうにもならないぐうたら亭主の浮気は
女性にとってはとんでもない災難の一つ
そういう亭主を持つと次から次へと苦労が絶えません
 
特に幼子を抱く若い女房は
亭主が浮気をしないように大事に大事に
お守りにしたそうな 
 
-写真はお地蔵さんではなく道標
指さす左方向は67番札所小松尾山・大興寺-

2014年1月14日火曜日

昔の風習

 
 
嫁盗み
 
といっても人の嫁はんに横恋慕して
寝盗ってしまうというとんでもない話ではなくて
そろそろ嫁が欲しくなったなと思ったら
村の若者と共謀し
隣村辺りにこっそり出かけて、若い女性を
かっさらってきて
強引に女房にしてしまうのです
 
嫁に貰うための結納金や祝言の贈答品も用意できない
貧乏人はたくさんいたが
こうでもしないことには嫁が貰えない村の若者の
苦肉の策です
しかし、女性の家もたいがいは貧乏人で
支度金や嫁入り道具も用意できないので
どうぞさらってやってくださいという暗黙の了解があったらしい
なかには承服しない親もいるが
強引に嫁にしてしまうと
承服しないわけにはいかなくなるようでした
 
希に盗む嫁を間違えてしまう場合もあったようですが
そのまま事を済ませてしまう場合もあったとか
 
さらわれた女性は
恋愛感情などどこにも存在しないので泣くのですが
2~3日も経てば観念してしまう
そうやって、たいがいは仲の良い夫婦になって
やがて子どもを産んで生涯を添えるようです
 
現代ではこんなことをしたら大きな事件になってしまって
誘拐、監禁罪で重たい刑罰が待ち構えていまする
昔は武家や商家でも
結婚は親が決めてしまってたので
女性は苦難の時代を生きていたようですね
かといって、恋愛結婚の現在では
3組に1組が離婚しているので、なんとも、は~
 

2014年1月13日月曜日

味噌で一升

 
 
新聞やテレビもラジオもない時代には
唯一の楽しみといったら飲むこと
しかし、庶民にとっては生活の苦しい時代なので
肴といえば
漬け物などは贅沢なほうで
なま味噌が一固まりもあれば一升は吞んだ
かんじきのへそと言って
牛皮のひもを囓って一晩は吞んだという
しかし、これも豊作でお米がたくさん穫れた年はいいが
凶作の年には
お酒を造ってた蔵元などは
庶民から食べる米さえないのにと、
敵視されたときもあったとか
現代では考えられないような時代があったんですね

2014年1月12日日曜日

浦島太郎伝説

 
荘内半島巡りに行ってきました
先ずは鴨ノ越にある丸山島
ここは浦島太郎が亀を助けたところ
潮が引くと島へ渡る海の道が現れるので、干潮を見計らって
海岸へ下りて渡ります

 
丸山島にある浦島太郎と亀
古いので色が落ちて
釣り竿もどこかへいってしまってありませんが
左腕には玉手箱がしっかりと抱えられてました
 
 
海の道を渡る家族連れの方たち

 
次に大浜の荘内浦島郵便局前にあるモニュメントへ

 
 
そして箱にある浦島太郎とその子ども二人のお墓参り
ここで玉手箱が開けられたとか…
 

 
亀の背中に乗って記念写真を撮ると
長生きするらしい
乗って妻に撮影してもらった
わたしこれであと800年は生きるでしょう
妻にも勧めたがわたしはいいと断られた
ゲッ!どういうこと?
その後、生誕地の生里の海岸縁に坐って
夕陽を眺めながら熱いコーヒーと
小さなケーキを一個食べました
砂浜にはなぜか靴が二足転がってましたとさ
 
※積…乙姫からのおみやげの宝物を積んだ地
金輪の鼻…乙姫との別れの際に姫の腕輪が落ちた地
粟島の姫路…姫が太郎と別れた後、一時立ち寄ったところ。
亀を祭る亀戎社(かめえびすしゃ)がある。
室浜…太郎が住んだ地、紫雲出山…箱から出た煙が立ち登った山。
 

2014年1月11日土曜日

差別社会

 
 
村定め
 
当年より祝儀、仏事共に
無判の者へ
上下着し候儀
相成り申さず候よう
御達し下さるべきこと
 
自分の印判を持てない身分の者は、
祝儀、仏事の際かみしもを着てはならないよう
申しつけておきなさいという意味
 
昔は身分の低い者は判は持ってはならなかったし
また、そのような者は上下のような正装を
してはならないということのようですが
このように封建制社会はありとあらゆる日常的な
ことに階級間、階層間あるいは庶民間での差別化を図った
その差別が封建制社会をまもることとして
欠かせなかったようです
 
とすると現代社会ではどうなのか
あえて簡潔に表現するなら
江戸時代とは比べものにならないくらいに
経済的にも生活の質も発展した日本社会
 
表面的には差別はなくなっているように見えるが
あらたに格差社会という問題を生み出している
この格差という言葉は一見差別とは異なる印象に映るが、
あからさまな差別でないだけで、事実上の差別となんら変わりはない
 
いまは自由と平等という名の資本主義社会
そこには金の論理と、持った者が、あるいは
儲けることに長ける者が勝という競争社会でしかない
結果、多くの若者たちが
非正規労働者として低賃金と長時間労働に喘いでいる
これでは未来はない
 
人間には真に平等という社会を
作り上げる能力が備わっていないのかもしれない