2013年1月3日木曜日

考えさせられる遭難死裁判



珍しく本屋さんで雑誌を買った
「岳人」
その中のGAKUJIN NEWSで
「積丹岳遭難死の裁判記事」が目についた
 
2009年2月にスノーボードをしに
積丹岳に登っていた男性が遭難した
救助にあたっていた道警が
男性をストレッチャーで搬送中に
誤って雪庇を踏み抜き滑落した
そのため、ストレッチャーの男性は凍死した
 
家族は適切に救助しなければならない隊員に
過失があったとして8600万円の損害賠償を
求め裁判となったが、
判決は男性側にも
①単独で登頂を敢行した
②事前の気象状況の確認が不十分だった
として減額し1200万円の支払いを命じた
 
遭難し亡くなったボーダーの男性にはご冥福を
祈るばかりですが
視界不良で強風が吹く中を救助にあたった
隊員の方たちの
その懸命の努力が仇と為りかねないこの裁判に
一種の驚きを覚える
 
吹雪の中での救助はいくら経験を積んだ方たちとは
いえ、相当に困難を極めたことだろうと
想像するが、その中で起きた事故を
「過失」といえるのかどうか
 
もしもこの時に隊員の方たちが遭難し、
二重遭難になっていたことを考えたときに
あまりにも隊員たちの命をかけた
努力は報われないどころか
ないがしろにされているような感じを受けてしまうのだが
この考えは一方的なもので屈折しているのだろうか
 
この種の訴訟が今後も起きるとしたら
そして減額とはいえ過失として認めるとすれば
救助にはもっと慎重にならざるをえないし
状況によっては救助はまったくできなくなる。
 
結果、その次に考えられる訴訟は
遭難救助を行う際の気象条件と
開始するか中止するかの判断基準が
争点になることも十分に考えられる
 
いったい人間社会の感情による桎梏というものは
どこまで延々と繰り広げられるのか
 

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