2011年6月28日火曜日

カヌー犬・ガク



ガクは生涯に一度だけ人間に恨みを持ち、意地悪をしたことがある。
ユーコン川下り三年目の時だ。
ベーリング海まであと一週間というところにあるエスキモー村でカメラの佐藤秀明と落ち合った。
それまで五十日ほど、ガクはぼくと二人きりで過ごしていた。
下流に入ると川幅はぐっと広くなり、ぼくとガクは荒涼とした天地に二人だけで、お互いが唯一の慰めであり楽しみであるという状態だった。

…(中略)…

何日も人間と会わずガクだけと暮らしていると、人間と犬はいつのまにか対等になっていた。
ある時、食い物がなくなり、ぼくとガクは緊急用のビスケットで数日を過ごしたことがある。
厚さ一㎝直径十㎝の大きなビスケットを、一日三枚ずつ食べるのだ。
ガクに三枚やり、ぼくが三枚とり、しかし、それだけでは腹が減って仕方がないので、ぼくはもう一枚取り出して食べようとする。
それをガクがじっと見ていると、自分だけ一枚余分に食べることが恥ずかしくなり、そっと箱に戻すのであった。
あの時、ぼくとガクは多くの意味で平等、生き物として対等だったと思う。
そういう時、ぼくはガクの顔を見て、彼の気持ちがよく判ったし、彼にもぼくの気持ちはよく伝わった。
一匹の犬と心を通わせるということはこういうことなのか。
ぼくは犬の飼い主としては最高の幸福な時間を持ったのだと思う。

そこに佐藤がやって来た。
ぼくは佐藤との再会を喜び、ひさしぶりに日本語を喋った。
ふと気づいてガクの方を見ると、ぼくとガクの関係は対等なものではなく、これまでどおり犬と飼い主の上下関係になっていてガクの気持ちが読めなくなっていた。
それを一番敏感に感じたのはガクでないか。
佐藤が入ってきた途端に、ぼくとガクの完璧な関係は終わったのである。

数日後、ユーコン・デルタの迷路の中に入った。
ある強風の日、カヌーが風に吹きやられて動きがとれず小さな島で一人で住んでいるエスキモーの男の小屋に泊めてもらった。
荷物を船から揚げていると、ぼくの目の前を佐藤の船が流れていった。
慌ててその船をつかまえ、フネについていたロープを調べるとガクの噛み切った跡があった。
ガクは自分とぼくの甘い生活の中に突然侵入して邪魔をした佐藤を許さなかったのである。

               カヌー犬・ガク   -野田知佑-

犬は一緒に遊んでやれば遊ぶほどおもしろい。
彼の体を触れば触るほどに体全身で喜びを表現する。
他にもイルカやチンパンジーなど頭のいい動物はいるが、なかでも犬は人間にとってもっとも身近な親しい間柄になれる動物だ。


S・A・R-20*5、ST*2、W30*2、J-TO*2、DS100*2

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