2010年12月17日金曜日

功と罪、表と裏


山を歩いていると、さまざまなものが目に付く。
登山道の脇に打ち付けられている道標だけでなく
石を積み重ねてのケルン
岩に白いペンキ、赤いペンキ
山頂にたつと、あちこちに登頂記念のプレートや
二つも三つもの山頂標識。
    
色とりどりのテープ、ピンクは林業関係の
方がつけられたものが比較的多い。
白、これも主に木材伐採時に木に目印のために
つけたものが多い。
黄色、もしくは黄色と黒は林野庁とか
国土地理院の方などがつけられたものが多い。
青、これは自治体の方が境界調査等で
つけられたものが多い。
      
いずれも仕事のためだが、その多くは
仕事が終わっても放置されていたり、
また、ときにはそれらの踏み跡に
空き缶や一升瓶などが転がっていたりもする。
      
一方多くの登山者はなぜか
赤テープを使用することが多い。
しかし、そのほとんどが、テープ本来の目的である緊急時の
道迷い防止対策として着けられているようには見えない。
わたしもザックに非常時用にと
テープと鋏を忍ばせてはいるがまず使ったことはなく
今では緊急対策として必要なのかどうか
疑問に思うこの頃です。
      
どうにかすると、テープなどは折角の素晴らしい自然の
景観を台無しにしているなと思う。
おそらく、どれもが人間の勝手都合による処置であって
結果的に自然を大切にする行為ではないようです。
    
しかし、しかし、一方で山頂標識やケルン、
そしてテープが適切に施されていれば
満ち迷い、あるいは怪我を負った不安に駆られた
登山者がそれによって随分と助けられたということは決して少なくはない。
一つの行為、あるいはなんらかの情報提供は
ある人にとっては無意味もしくは非常識に写ってしまうが、
別なところでは人道的なもの好意的必然的なものとして重宝される。
     
ありとあらゆる行為・物事には一方では
罪であり一方では功でもあるのですが、
人の介在する物事や行為にはややもすると
行き過ぎがあって、だからこそ自制と規制が求められる。
しかし、得てして、人というものは自己中心的で
自制や規制をもっとも忌み嫌ってしまう。
     
モラルやマナーに訴えても
それだけでは不十分な場合があって、
もちろん幼い頃からの教育や社会的な環境作りも大切ですが、
最後には法律と罰則に頼らざるを得ない。
     
法律と罰則を作っていても、例えば山の植物を採取することは
犯罪行為なのですが、社会的モラルが低く、また規制する仕組みも
まったく不十分なため、一向に盗掘が減らず、絶滅危惧種が増え続けている。
もっとも嘆かわしいのは行政による自然開発、もしくは業者への
事業認可ではありますが…。
     
一方でわたしたちが最も気をつけないといけないことは
モラルを説く人間が、モラルを守っているかどうかだ。
自分のしている行為、それを知ることも
把握することも反省することもせず、
人に説教したり、求めたりすることをしてはいないだろうか。
また、ただただ自分の立場を守りたい、それだけに
執心して物事を判断していないだろうか、あるいは
そう思われても仕方のない行動をしていないだろうか。
    
人とは本音と立て前、表と裏があって、
それが故にきれい事を並べ立て勝ちなのです。
最も恥ずべき行為はもっともらしい理屈事を並べ立てて
人を責めることですが、
それは、先ず自分自身に当てはめないといけない。

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