2011年10月21日金曜日
人間は哀れ
東海林さだおさんといえば、ショウジ君やアサッテ君を書いている有名な漫画家、と思ってたらエッセイを書いて本を出している。
そのエッセイ集に「へんな事ばかり考える男 へんなことは考えない女」というのがあるが、これが面白い。
そのなかに人間は哀れであるというのがあるが、これがなんともいえずユニークでウィットに富んでいる。
<前略…そうとうに略、かなりの略>
人間はもともと哀れなのだ。
生きていかなければならないというのが、哀れの根本である。
人間は、何の説明も受けず、何の理由も告げられないまま、この世に生を受けた瞬間から、選択の余地なく、生き延びていく課題を背負わされる。
人間が哀れというより、生物のすべてが哀れなのかもしれない。
キリンもライオンも哀れである。
イカもサバもミミズも哀れである。
アフリカの大草原に腹這いになり、遠くを見ながらたてがみを風になびかせているライオンは哀れである。
何を考えているのだろう。
考えているとしたら哀れである。
何も考えていないのだろうか。
何も考えていないとしたら哀れである。
<中略…ちょっとだけ略>
仄聞(そくぶん)するところによれば、あらゆる生命体は、種を次の世代につないでゆくための単なるヴィークル(乗り物)だというではないか。
ということは、個の事情、個の言い分、個の幸、不幸には意味がないということになる。
ライオン君、意味がないんだよキミ個人には。
そうやって、たてがみを風になびかせているけれど、ときどき血みどろになって獲物をつかまえて食いちぎったりしているけれど、みーんな意味がないんだよ。
一定期間、息をしつづけたあとは、意味なく死んでくれればいい。
きょう一日あったこと、意味がないんだよ。
若いころとてもつらいことがあったこと、意味がないんだよ。
これから先、いろんなことがあるだろうが、意味がないんだよ。
唯一、意味があるのは、ときどき腰をヘコヘコさせることだ。
腰をヘコヘコさせているときのライオンは実に哀れだ。
威厳も尊厳もあったものではない。
だが、腰をヘコヘコさせて、君の種を次代につなぐものを出してくれないと困る。
一生のうちに何回か、これだけはやらないとまずいことになる。
いま地球上のあらゆるところで、動物たちがヘコヘコしているにちがいない。
なんという哀れなことだ。
明日は大雨のようだ。
山行きは中止になった。
J-RS*3、DS100*3
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