2011年3月31日木曜日

散髪おばちゃん


久しぶりに散髪屋さんへ、おばちゃん、元気だが、最近腰が曲がってきた。いつの間にか曲がったそうで、ある日、歩いてると、いつもより身体が前へ前へ進むのでおかしいなと思った。気がついたら、身体が前屈みになってて、愕然としたとか。

     しかし、やはりお元気です。今日も鋏裁きと口は絶好調一時間、しゃべり倒し、こちらに顔を振り向ける度にツバキが顔にシャワーのように降り掛かる。こちとら、避けるのに必死。ひょいと避けるか、それとも塚原朴伝のように囲炉裏に掛かる木の鍋ぶたでサッと降り掛かるツバキをハッシと受け止めるかどちらか。

   関東地方や東京都民さん、この震災で福島原発が大変で、福島に原発作ってその電力独り占めしたお陰で悪評を買いました。おまけにガソリンや乾電池、ミネラルウォーターまで買い占めちゃったりで、ますます悪評を買いました。なんでもお札を見せびらかせて買えばいいっていうもんではないようですね。

  しかし、ご安心を。我が香川もお隣の徳島に流れる吉野川、その源流の高知県に大きなダムを建設して水を引いているこの水、高知県の方には一滴の潤いもない。全部徳島県へ流れる…はずのところを、途中で大きくパクっている。

   最近はそれでも足りなくて、毎年夏になると、ダムの貯水量に首ったけ。ところがところが、東京都民さん、あなたも電力を毎日、獏のように消費しているらしいですが、我が香川県民も、水道水から流れ出る高知県からの恵みを、当然のようにして、消費しているらしいのです。

   口鋏絶好調、泡とツバキ飛ばしの達人おばちゃんは、最近のな、若い衆は電気だけやないぞ。水道なんかあんた、キッチンで流しっぱなし、お風呂なんかあんた、シャワーを出しっぱなしじゃわいな。いったい身体のどこまで洗うたら気が済むんやろな。トイレはあんた、小でいいところを大で流すのやで大で、どんだけしっこしよんやろか、馬のしっこやあるまいしな。

   おばちゃんのしゃべりっぱなしもすごいが、そうなんや、東京都民さん、あんた、非難して悪かったな、うちも反省せないかんがな。ついつい他人のことばかり非難するけど、、あのダム、もしも大地震か巨大台風で決壊したら…、地元住民の方たちに大変な災害をもたらすことも…。

人のふり見て我がふり直せや。人はついつい他人のことを悪くいうが、それは自分のことをいつも棚に上げているだけなのことなのやわ。   

2011年3月30日水曜日

備え


備えあれば憂いなし

そう教わった

ところがこれが思った以上に難しい


備えが万全と思っていても

必ずしも100%ということは

なかなか考えにくいようです


降り掛かる災難は備え以上の

ものだったりもするのですが

大概は想定する災難に対して

楽観的な観測のものであったり

平穏無事な日常生活の慣れから

怠ってしまいがち

そこへ不意打ちのように、温かいふわふわの

布団の中で眠っているところに

いきなり頭の上からガツン

  

特別な山岳遭難を除いて大方のものは

日々山に登り、慣れてくるに従い

それまでしっかりしていた装備を

一つずつ怠り

今日は軽い山だから、日帰りだよ

この程度なら夕方早くには帰れるから

ツエルトもいらない、水も予備などはいらない

食事も1食分で十分

重たいし、軽い方が軽快に歩けて

却って安全かも

  

これが落とし穴です

待ち構えているのは…これから始まる悲劇の物語

あ~あ、くわばらくわばら

  

備えあれば憂いなし

しっかり、バックパックを整え

どんなときも心して歩こう。

  

東北関東大震災の教訓

「天災に想定外はなし」

  

※死者11232人 行方不明16361人 

2011年3月28日月曜日

プルトニウム


とうとうプルトニウムが建屋外部から検出された。極めて微量で影響は少ないと言うが、いままでの放射性セリウムやヨウ素と異なって事態は深刻 。                                                                                    いったいどうなるのか、出口の見えない闘いが始まっているが四国に住む私でさえ、極めて不安な状況に置かされているのに福島県やその近隣に住まわれる方たちは不安を通り越して恐怖心いっぱいではないだろうか。                                     これはもはや日本一国だけでは対処できない。一刻も早く、アメリカ、フランス、ドイツ、ロシア、イタリア、イギリス各国からの専門家による救援を、来てくれるかどうかは別にしてお願いしないといけない。                                                  国会での審議、野党さんお願いだ、非難合戦で相手を追い落としている時ではない。国民のために一致協力して、お互いに危機克服のためによりよい手立てを常に連携しながら、迅速に協議し運んでもらいたい。                                                                                                    与党さんも、この事態に神頼みなどと言うとんでもない発言は慎んでもらいたいし、全身全霊でことにあたってもらいたい。あなたたちは、国民の政治不信をますます募らせている。 国民は政権などどちらでもいい。この深刻な危機的な事態をどうやって克服するか、この一点です。                                                            ※死者11102人 行方不明16493人                                                                   

震災17日経過


避難先で最も大事なことは

ジッとして受け身にならずに

積極的に行動することだそうです。
            
受け身になっていると情報も入らず

折角の救援も受けられなくなる恐れが

生じるので、避難先での孤立化を避けるために

待っていてはダメ、能動的になれということ
       
  ジッとしていると助かるものも助からない

これ、何かとよく似ている
   
人は老化してくると動きにくくなる

動きにくくなるから余計に動かない

動かないとますます身体が硬くなり

血行が詰まる。

   

魚は死ぬまで泳げ

鳥も死ぬまで飛べ

ライオンが走らなくなったら生きていけない

人も歩けるあいだは歩け、

動けるあいだは懸命に動け
   
 頭は使いよう、働かせ、

寒かったら新聞紙を身体に巻き

丸めてベッドにしろ

ラップだってホイルだって段ボールだって

工夫すれば一時的な寒さをしのぐ手段になる
   
 食糧は温めて食べよ、冷たいままでは不健康

水も温めて飲めばホッとする
    
  震災は生きていくさまざまな知恵を教えてくれる
   
   ※死者10901人 行方不明17649人
   

2011年3月27日日曜日

震災16日経過

               

 震災や津波に対して被災地からのいくつかのレポートが

ニュース番組などで取り上げられた。

     

津波に対して最も大切なことは海や川の潮位の変化を見逃さずに

素早く高台へ逃げることだがただ漫然と逃げたのではいけない。

     

避難場所は高台から一層の高台へ短距離の線上で

複数をあらかじめの避難マップで設定しておき、

まわりの状況を感じ取り、素早く判断しながら避難場所から

避難場所へ逃げることが大切とのこと

  

最初に逃げ込んだ避難場所が確実に安全だとの思い込みが

被害を大きくする原因になる

津波が来て、潮が引いて随分と時間が経っただからといって

安心したり、家へ帰ってはいけない

一波よりさらに大きな第二波、第三波が襲いかかってくると

考えておくこと

    

今回の津波でも第一波から逃れることができたのだが、

家のことが心配で帰宅したところを

第二波に襲われ波にさらわれたり、

亡くなられた方も少なくなかった。

    

それにしても今回の震災の東北太平洋岸は

過去から津波被害が多く津波に対する住民意識、

防災意識は高く、普段から訓練なども行われていた地域も多い。

  それでもこの被害、津波の大きさはやはり尋常でない。

      

生きぬくことが最も大切なことと誰もが言う

しかし、そのための努力は並大抵では

できないことを教えて頂いたような気がする。

     

※死者10668人 行方不明16574人

                   

2011年3月26日土曜日

震災15日経過


福島原発事故、世界中の国で
連日、一面トップのニュース
日本の原発は信用失墜、ゼロ
いやマイナスになった
  
世界で唯一の原爆による被爆国
それが今度は自らの原発による被曝
   
この事故で初めて知ったが
外国では日本の農産物などは
安心安全な食材として輸入してるんだ
しかも高級食材として
   
わたしたち、つい最近まで外国の安いものを
買い求めていた。
今では外国のものは一部安全でないことが知らされ
出来る限り日本産を買っているが
今回の事故での放射性物質による
汚染で逆転してしまった。
   
諸外国は一斉に日本の食料品輸入に
ストップをかけ、そして自国の日本滞在者に日本からの
退避勧告も出した。
   
この措置は万一の安全対策かもしれないが
それにしても日本人は
地元の方以外はあまり騒がないし
冷静に落ち着いている…ように見える…
   唯一の被爆国、十分に放射線の恐ろしさと怖さを
知っている国だが…
いまは固唾を呑んで見守っているのだろうか。
それとも…。
   
※死者10418人 行方不明者17072人
       

深呼吸


朝、起きて深呼吸をすることは
身体にとてもいいことらしい
   15分ゆっくりと吸い込み、ゆっくりと吐く
できることなら腹式呼吸で
   
明けやらん空に向かいて深呼吸
   
お医者さんも推奨する、毎日の健康法
効果は、老化防止、痴呆症予防、うつ病対策
細胞が活性化し、働きが活発になるとか
   
よく似たのに太極拳やプールでの
ゆっくりした泳ぎ、少しだけ速足の散歩
自転車でののんびり走り、そして里山歩き
      
生きることの楽しさは
ほんのちょっとしたところに転がっている。
     

2011年3月25日金曜日

震災14日目


ホッとするニュースがいくつか、
東北方面の高速道が全線復旧、
仮設住宅がほんの一部だが申し込み
受付が始まった、
避難地における避難者の救援物資などの
要望の質が高まってきたこと。
   
しかし、だからといって復興が
始まっているわけではない
まだまだ救助救援段階であり
ライフラインが一定程度改善し確保された地域の方と
そうでない方との差が開きつつある。
まだ食糧や水が届ききれていない孤立した方がいて
大変に心配な状況です。
   
原発事故への不安は一層高まっている
事故レベルを5から6へと引き上げることも
ニュースになっているが、信憑性は確認できていない。
   
東電関係の方の3人のベータ被ばくによって
あらたに原子炉本体ではないかもしれないが
どこかに損傷が生じている様子
このことにより東電は放射性物質の
放出を止めることに、相当な時間が掛かり、
いまのところその目処が立っていないことを発表した
   
これを受け政府は20km~30km圏内の
屋内退避を自主的な圏外退避へと一段レベルを
上げて地域住民や関係自治体へ警告に近い
形で公表した
   
選抜高校野球が一昨日から始まっているが
残念ながらこの状況の中でそちらに心が向かない
重苦しい日々が続く。
いつまで?
分からない。
   
死者10102人  行方不明17053人   
    

2011年3月24日木曜日

原発被害


放射性物質の拡散はとどまるところを知らない
農産物、牛乳、海水、水道、土壌
そしてとうとう東電作業員3名に
ベーター線による被ばくが発生した。
   
なんとか冷却機能が復帰することを祈る思いで
作業を見つめていた矢先のことだ。
   
懸命に作業を進めている東電職員も
そうだが、自衛隊員、消防隊員にも危険が迫っており、
作業の一層の困難と危険性がますます高まった
この先どうなるのか、不安な思いが広がる。
  
わたしたちには震災地への支援は
何らかの形でできるが、放射能には
なにもすることができない。
     
※死者9811人 行方不明者16601人
    

2011年3月23日水曜日

緊急避難袋


普段、山へ登っている者にとって
震災時用の救急袋を用意して
いつでもすぐに背負い、外へ飛び出すのは容易だ。
  
今回登山で使うもの以外で
購入し備えたものはまったくなくて
あらたにザックに詰めて持ち出すものは
貴重品だけだろうか、これは
普段、枕元に置くわけに行かず
保管場所に苦慮する。
   
しかし、いくら備えても限界がある
救急袋はあくまでも緊急用のもの
逃げた、避難した、さて避難先で
長期滞在になる場合、水と食糧の問題は
一日や二日程度であれば大丈夫だが
三日以上になるとさすがに避難先で確保しなければならない
さらに、普段から抱えている病気の薬となると
やはり、すべてが救援に頼らざるを得ない。
自分だけの力ではどうにもならないのが
大きな災害だと心がけないといけないようです。
  
もしかして、避難先でも孤立して
どうにもならないということもある。
ここまで考えると息が詰まってきた。
思考が停止してしまう。
  
やはり、避難には普段からの備えが重要
救急グッズだけでなく、避難先への素早い行動と
対処によっていかに少しでも遠くの安全地帯へ
辿り着くことができるかがポイントになりそうだ。
   
緊急避難時の素早い判断と行動
そしてスピードのある移動手段の確保
これに限るが、これさえ出来ないような
天災が襲いかかってきたとき、これは
あっさりとギブアップしよう。
     
この薄っぺらなどうせ後先短い命だけど地球の
いや宇宙の超自然現象にお任せだわ。
   
※原発事故が災害救援復旧の大きな障害になっているが
さらに災害を大きくしてしまいそうな状況で、
重大な局面を迎えている。
考えたくないが、もしも…ということも…
(チェルノブイリ事故の検証も必要か…このときは
1100km離れたスェーデンで放射性物質が衣服に付着し、
日本でも雨水中から確認された)
  
死者9408人、行方不明14716人
        

2011年3月22日火曜日

東南海地震…


今世紀初めに起きるだろうと
予想されている東南海地震
いったいどのような地震なんだろう
過去の地震から想像するしかないのだが
それは極めて難しい。
   
1854年12月23日に起きた安政東海地震
そして32時間後に発生した安政南海地震
M8.4、津波9m、死者は5000人以上と言われているが
詳しい資料はない。
  
1944年12月7日には昭和東南海地震
M7.9、死者不明1223名、住宅全半壊流失消失57248戸
津波9m
1946年12月21日に発生した昭和南海地震
M8.0、死者1330名、住宅全半壊消失火災39127戸
津波は4~6m。
特に昭和東南海地震は戦時中であって隠蔽され詳細な資料はない。
  
もしも、駿河湾沖の東海地震、紀伊半島沖の東南海地震
そして四国沖の南海地震が、今回の500kmに及ぶ
北陸関東地震のように同時発生したら…
   
想定される規模被害などはM9.0
最大津波30m、死者22000人~28000人
全壊半壊等住宅被害は51万~56万戸
被害額53兆~81兆だといわれている。
   
被害を大きくする津波は震度では測れないようだ
甚大な被害を出した明治三陸沖地震では
震度3だったが、最大津波は38.2m
死者行方不明21959人
   
わたしたちは学び備えるしかない
いつまでも天災は忘れた頃にではいけない。
       
※死者9080人、行方不明13561人
   

2011年3月21日月曜日

防災マップ


我が家も重い腰をとうとう上げた
災害時における非常時救急袋
(リュックザック)を再点検
ラジオ、ヘッドランプ、テント、携帯ガス
救急薬品、非常食、携帯ポリタン
携帯電話充電器、蝋燭、ライター、軍手
シュラフ、ナイフ、ティッシュ、石鹸、タオル、乾電池、
コッヘル、靴下、替え下着、時計その他現金や
保険証、免許証、貴重品などなど
    
家はボロ屋なので捨てよう
しかし、タンスや本棚の下敷きにならないよう
固定しよう
  長靴やヘルメットも玄関に備えよう
   
さて、あとは、市の防災マップおよび
災害時マニュアルの確認
避難場所は押さえた、
我が町および隣町の災害対策なるものを読んでみた
   
隣町は東南海地震対策ができていた
しかし、我が町は洪水浸水崖崩れ等の対策は
書かれているが、想定される東南海などの地震対策は
出来ていないように感じた
  
我が町は今回の東北・関東地震をうけて
もう一度見直す必要があると感じた
全体的に大まかな対策で終わっている
  
緊急時の市民への情報周知伝達方法
きめ細かな救助や救急医療体制
ライフラインの確保、給水や燃料
食糧や救援物資の確保と各集落への輸送配布体制
道路などの復旧体制、これらに要する
人員の確保など不明瞭で不十分だ
  
これではおそらく地域住民もだが肝心の
市の防災体制がパニックになって
十分に機能しないものと思われる。
もう一度見つめ直し、議会で煮詰めてもらい
わたしたち市民への周知徹底を図らないといけない
     
それにしても、今回の一番大きな悲劇は
町長さんや町の多くの職員の方、
消防署、警察の方および病院関係の方やご家族の方たちが
亡くなられたり、あるいは市・町のほとんどが壊滅的な
状況になったことでしょうか。
      
※死者8649人、行方不明者13261人
       

2011年3月20日日曜日

震災9日目


定例のツーリング日、午後から雨の予定
早めに切り上げる予定で
荘内半島から詫間へ
そして三野町にある宗吉瓦窯遺跡に
立ち寄る。
  
話題はやはり震災
仲間、先輩たちとの会話は
忌憚のない感想や意見ばかり
  
しかし、今回のような学者・識者でさえ予想も
出来なかった大きな災害が
もしも、この穏やかな瀬戸内に起きたら…
   
考えられる具体的な災害は東南海地震
   
この讃岐の地でも震度6、津波2mが想定されている
果たしてこの数字内で済むのか
誰にも分からない
  
明日は我が身、出来ることから備えないとな~
先輩仲間、皆の口元から
同時にため息が洩れた。
  
災害が起きた直後の備え
避難先での備え
生活および場所の確保と再建に向けての備え
地域の人たちと連携し支え合えるための備え
課題は余りにも多く重たい、一人ではできない
しかし、考えないといけないこと
  
考えて、考えて、備えていかないと始まらない。
ため息はその重さ、もう老人の域に入ってしまったが
今回の、あるいは阪神・淡路震災が、
わたしたちに残してくれた課題だ。
先ず、自分でできることから。
簡単なことから。
   
正直、凡人にはそれで終わってしまうという思いが強い。
         
(※死者8133人、行方不明者12272人になった)
       
      

2011年3月19日土曜日

震災8日目


死者7348人に達した
行方不明の方はおおよそ10700人
  
道路などが復旧し救援物資や燃料、水、医薬品などが
被災地へどんどん届くようになったが
まだまだ救援段階
    
原発も少し明るいニュース
炉心が一番露出し心配されている3号機に
アーム式の特殊消防車による連続放水による冷却、
それが一定程度の功を奏しているし
5、6号機は電源が繋がり本格的な冷却が作動しだした。
   
(記事の訂正とお詫び…5、6号機は外部電源がすでに
繋がっていて、冷却機能の点検確認作業に着手した…
が正解でした、従って冷却作動しだしたは誤りです、
申し訳ございません。)
      
1、2号機は電源が繋がり
ポンプに電流を流せるところまで漕ぎ着けた
あとはポンプが正常に作動するかどうかだが
その前に海水に濡れたポンプを
ショートしないように清浄しないといけない、これからだ
    
予断は許されない、しかし、少しずつだが、
光が見えてきだした。
      
   
わたしたちは突然襲われたこれまでにない大きな災害に対して
救助復旧に当たっては先手先手で対応し、
なんの不満も起きないよう完璧なものを求め勝ちだが
それは非常に厳しく困難なような気がしてならない
  
阪神淡路大震災に学んで、国の指示の元に、地域や自治体などが
避難地を作り、ライフラインの確保や
維持および復旧対策のマニュアルを作ってたことは周知の事実です
あるいは予算を組んで岸壁の防護や
学校などの公共施設の耐震構造を強化してることも。
   
今回の震災は津波の大きさも含めて何もかもそれを上回った。
一方で非常に多くの個人や家庭がすでに震災を忘れてしまい
緊急の災害グッズや非常食を備えてなかったり、
あるいは家具や家屋に震災対策をしていないという現状もある。
  
(阪神淡路震災後、災害グッズや非常食をリュックに入れて、
直ぐ背に担げる場所に備えることをわたしたちは学んだと思う…
えらそうには言えない、わたしもしていない…)
   
あらためて、天災は忘れた頃にやってくる
しかも以前よりも一層大きな牙を剥いて。
            

2011年3月18日金曜日

福島原発被災事故


震災から一週間、今日はお彼岸の入り
原発事故が物議を醸している
  
死者は阪神・淡路大地震を越えて6539人(阪神6434人)
行方不明者10354人、なおも増える恐れがある
そして、取り残され孤立した人がまだ約16000人、悲惨だ。
  
一方明るいニュースも
まだ一部だが分断された道路や鉄道、そして港湾や空港
が復旧し、救援物資が届けられるようになってきた
懸命の作業によって救出された人も26739人
  
話を元に戻し、   
東電は過去に二度の前科を持っている
2002年のトラブル隠し
2007年のデータねつ造
これは国民に対する重大な犯罪ですが
今回の震災事故に対しても
大きな不信感を招いている
  
最も大きな不信感はアメリカが原発被災事故救援部隊を
送る体制を整え日本に打診したにもかかわらず
断ったのではないかという疑念だ
これが事実だとしたら被災事故発生から一週間で
米スリーマイル島事故に匹敵する危機的な
状況に至ったことを考えるとあまりにも重大すぎる問題だ
  
不信感がますます不信を増長させており
現在公表している事故対応や放射能レベル
も不信感を持たれている。
  
アメリカを始めとする諸外国が
自国の日本滞在者に対して
避難距離を80km以上にしたり
帰国を勧告したりしているが
日本は20km以上30km圏内は屋内待避
この差はなんだというわけです。
  
また、現在の福島原発の状況判断が
諸外国は危機的な状況だとしているが
日本は今日になってやっとレベル5に引き揚げた
  
国際原子力機関「IAEA」も
日本の事故報告の情報量が少ないとして
苦言を呈している。
    
各マスコミ関係者も国民も懐疑的な目で神経を尖らせている
一歩間違えば命取りだ。
      

2011年3月17日木曜日

世界から…


日本への海外からの救援や支援が
すごい、義援金や救援物資活動もだが
並大抵でないと思ったのは
支援集会を開催し、日本へ向けて
メッセージを送ってくれてることです
  
「日本頑張れ、復興を祈ってる」
それだけじゃなかった
「われわれと共にある」
という言葉に驚いた
一緒に頑張るぞ共に頑張ろうという
気持ちがこめられている
  
世界の人たちが応援してくれている
そんなときに日本に住むわたしたちに
いま何が出来るのか
なにをしたらいいのか
義援金しかできない自分に正直
焦りさえ感じる状況です。
  
日本がいままでに世界にしてきたことは
間違いがなかったし、確実に
平和の輪は広がっている。
頑固に平和外交を貫いてきた日本人
であることに誇りに思います。
  

2011年3月16日水曜日

今日で5日目


大震災が発生してから今日で5日目
被害はあまりにも大きく、救援隊が
いまだに被災地に近寄れない状況も続いているし
孤立したりもしていて救助を待っている方がおいでる。
    
救援物資を送ろうにも、被災地の港や空港、道路などが
寸断され、復旧を急いでいるが
懸命の努力と作業もままならないでいる
    
頼りになるのは自衛隊員、機動隊員、消防署など
普段訓練され鍛えられたプロフェッショナルな方たち
ボランティアに行こうにも、それは
まったく安全な被害のない地域に限られてしまうし
受け入れ体制が整ってない地域では
却ってそれは迷惑以外のなにものでもないことになる。
  
これまで情報が輻輳し混乱していたりして
様々な対応に批判や非難が多かったが
ここにきて非難や批判では助からないことに
多くの人が気がつき始めている。
  
試行錯誤、四苦八苦、七転八倒しながら
日本中が一緒になって
乗り越えていこうとする空気が少しだが見えてきた。
なんだか涙が出てきてホッとする。
そう、頑張れでなくて、ともに頑張ろうだ。
     

2011年3月15日火曜日

「鏡よ鏡…」


「鏡は己の醜さを見るためにある」
   
そうなんです、鏡を覗く度に
頭に白髪が混ざり、薄くなり
眉毛もなんとなく頼りなく
目袋が出来、皺シミが目立つ
目尻は下がり、口元はだらしがない
なんとも醜く思う今日この頃。
   
自分の姿形など見ずに済めばいいものを。
    

2011年3月14日月曜日

対人


「人は愛してくれる人を愛するとは限りません。」
    
この言葉、ある意味残酷です。
   
小さい頃によく経験することですが
いえ、大人になった今もそうなんですが
好感を持って接した方が、その方も
自分に対しても好印象を持って接してくれてるかどうかは
まったく異なっているのです。
      
意外と厳しい見方をしていたり、
まったく印象に残ってない存在だったりで
それを知ったときはやはりショックですよね
  
しかし、逆のケースもあるわけで、
こちらがなんとも思ってない方に
そうとうに好印象で見られてたりしていることを知ったときは
思わず、頭を掻いてしまいます。
    
年を重ねたこの頃は、そういう人間関係の
すれ違いには慣れてしまってて
十分に対応できるというか、擦れてしまってます。
  

2011年3月13日日曜日

平和…


自然の猛威にわたしたち
人間は為す術もない
あらためて思い知らされた
  
今後も同じ事があるいは
想像も出来ない大きな
災害が起きることは
あると認識しないといけないが
どう対応していいのか
それが容易でない
  
災害のない平和で安心して
暮らせる社会
今回の災害から
あるいは淡路・阪神大震災などなどを考えると
もしかしたら、ないのではないかと
思わされてしまう。
      

2011年3月12日土曜日

津波


高台へ避難した人たちの目の前に
津波が押し寄せ、堤防を越え
街に侵入し家を押し流しなにもかも破壊していく
  
これほどショックなことはない。
   

2011年3月11日金曜日

大地震


午後2時46分、M8.8、最大級の地震発生
震源地仙台地方、津波発生
440万世帯停電、余震なお続く
  
火災発生、家屋倒壊、津波により
家屋家財流され車・船なども多数流されている
被害の詳細な状況把握できず
  
日本の都心も交通網がストップし、
午後8時過ぎになって一部動き出す。
通信網も混乱と規制が続いている。
   

2011年3月10日木曜日

シジュウカラ


里山を歩いているとツツピーツツピーと
囀り声が聞こえ、人のすぐ傍を飛ぶ
野鳥の名前はシジュウカラ
黒い頭に白い頬、ネクタイをしている
ハイカラな鳥だ。
  
しかし、なぜシジュウカラ?
ゴジュウカラという小鳥もいるが
ロクジュウカラとかナナジュウカラ
という小鳥はいないように思う。
   
江戸の川柳に「色事は四十からがおもしろし」
というのがあるそうだ。
わたしの四十からは自転車ツーリング
毎日走った、面白くて止められなかった
五十からはぼちぼち行ってた山にのめり込むようになった
ロクジュウカラ、ネットの世界にはまった
それぞれに面白い
ナナジュウカラ、まだ先だがなんと鳴こう。
   

2011年3月9日水曜日

ふるさとの山


ふるさとの山にむかいて言うことなし
ふるさとの山はありがたきかな
       -石川啄木-
   
現代の人々の山への思いと
この当時の人々の山への思いとは
あまりにも大きな隔たりがありそうです。
         

2011年3月8日火曜日

日本の風景は…


雪とけて村いっぱいの子どもかな
   
              -小林一茶-
  
こんな光景もう見ること叶わないのかな~
純朴で元気いっぱいの子どもたち
どこかに姿を消して久しいように思う。  
   

2011年3月7日月曜日

遭難事故<牛ノ背>


山岳事故が多発している
剱岳、朝日岳、谷川岳。
     
そして、5日から一泊二日で登ってた
香川の13人の山岳パーティが
6日に牛ノ背で道迷い、今日午後4時20分頃に
救助に向かった機動隊員と合流し、無事下山した。
    
迷ったのは牛ノ背西斜面古味の近辺
一晩雪山での道迷い、相当に不安と疲労が
重なったことと推察するが、無事でよかった。
    
古味側は迷い易いところと聞いてます。
これが反対側の西山方面だと
すぐに林道が東西に走ってるので
6日当日中に降りられたと思うが
迷った方向も悪かったようです。
    
登山の本当の力量が試されるのは
もちろん遭難する前に経験や知識に基づいて
正しい判断と行動があればこそですが
遭難してから助かるかどうかも力量のうち。
特に積雪量の多い冬山
決して褒められたことではないのですが
よくぞ凌いで下山したと思います。
    
わたしがもしも同じような状況になったとき
凌ぐことが出来るかどうか、
本音を吐露すると不安だらけです。
せめて遭難時の装備と心構えだけはきっちりと…。
       

2011年3月6日日曜日

定例ツーリング


今日のツーリング、メンバーは
いつもより少なく5人
距離はやや少なめでしたが
大麻山山麓西のアップダウンのある
林道を走り、伊予見峠を越え山本へ
途中、昔懐かしいログハウスの
とある喫茶店に。
店内は屋久杉の分厚く大きなテーブルや
彫り物など、アンティークな雰囲気
コーヒーを飲んで外に出ると雨
財田川土手を走って家路に。
  
メンバーの一人、大先輩が近々入院し手術の予定
無事成功を祈って、またリハビリ後の復帰を
願ってやみません。
   

2011年3月5日土曜日

風紋


今日は昨日と打って変わって
雲一つ無いいい天気、青空が広がった。
    
一昨日から降り積もった雪
高所では冷え込みさらさら
風が美しい模様を残していってくれた。
   

2011年3月4日金曜日

モノトーン


山は再び雪に蔽われモノトーンの世界
今日は山頂で風が吹き寒かった~。
   
    
雪だるま星のおしゃべりぺちゃくちゃと
  
                -松本たかし-

2011年3月3日木曜日

山岳事故


2月28日に剣岳で起きた雪崩は
訓練中の富山県警山岳救助隊員3人を
巻き込んだ。
  
うち二人は昨日の2日に救助されたが
残る一人はその後、悪天候が続き中断
3月3日になった今日も救助が続いている。
       
家族および県警の方たちは居たたまれない
気持ちだろう。
なんとか助かってもらいたいものです。
    
雪崩、山岳警備隊員でさえ
その危険性を予測できない怖さを抱えている
普段雪の少ないところで、ハイキング程度の山歩きしか
経験できていない者が到底太刀打ちできるものではないようです。
      

2011年3月2日水曜日

浅蜊穫り


暖かくなったとはいえ
川には雪解け水
川尻で浅蜊を穫る人の姿が
冷たく影を映す。
  
浅蜊が美味しくなる時期、お汁それとも
バター焼き、酒蒸しもいいね。
 いやいや、天ぷらだわ。
  
ビールかお酒に合うね。
       

2011年3月1日火曜日

関西文化と四国文化


「飯食うて、笑てたらええやん」
    
関西の人たちは、そう考えて
毎日を暮らしている方が多いらしい
    
そうやな~、日々そんな生活できたら
楽やな~と思わんこともないけど
そうはいかんぞな~
四国は関西とは一線を画している
ぼけと突っ込みまではせ~へんけど
笑顔で堅実な暮らしを心がけてます。