2011年4月30日土曜日

ガックリ!



あ~あ、5月いっぱいで高速道路1000円割引が終わっちゃうのに

このGWが遠乗り最後のチャンスだのに

こんな時に限って、指をくわえて家でじっとしていないといけない

今年こそと思ってた遠い旅路への憧れ

どっかへ飛んでったぞ~!

仕方がない、今年も四国のなかでちまちまと歩きましょうわい。

2011年4月29日金曜日

四電社長と四国新聞


四国新聞トップに四電社長の会見の内容が載せられた。原発事故に伴う東電の賠償は国にも責任があるという見解で、賠償は免責されるというものだった。国の責任、それは、原発は国の認可を受けている事業だからという理由だ。

ひょえ~!驚いた、福島県の被害者の方たちは、土地を追われ、住むところに帰れず、子どもたちも学校に帰れず、農業漁業が営めず、勤めるところもなく、将来の健康にさえ一抹の不安を抱えているのに、これはどうしたことだろう。

東電は過去に隠蔽工作をしたり、偽りの情報を住民に発表した会社だ。しかも、今回の地震では津波対策がまったく不十分だったことも明らかになっている。しかも、必死で事故処理の作業をしている下請け会社の社員への待遇は劣悪な扱いだ。それにもかかわらず、国に責任があって、免責になるですと?これ東電が言ってるのだったらめちゃくちゃに非難されるでしょうね。だけどなぜ、四電が?なぜ、四国新聞が一民間の一社長の見解をトップで載せるのかな。

国の認可だからというのであれば、電力会社や原発だけでなく、建物から土地からありとあらゆる交通網から港湾や河川だけでなく、民間事業すべてが認可の元に設立されたり、営まれたりしている。四電社長の見解が正しいとするなら、この社会のすべての事故や賠償はすべて国の責任と言うことになるが、どこかおかしくないか?

わたしたちは電気を買うのに事業所を選べない。

原発施設の莫大な建設費や研究費をすべて電力料金に上乗せして徴収することが、はたして正しいことなのかどうかさえ大いに疑問であるのに、この四電社長の見解はどう考えても責任逃れで横暴すぎる。

どうやら、わたしたちは、今後、電力を自宅でまかなうにも電力会社に頼ることは避けないといけなくなってきてるようだ。このまま放置して置いたのでは、電力会社は原発を作り続け、事故の際にはその責任をすべて国、ひいては国民に押しつけ、被害者に対して謝りもせず(東電はいまだ農業漁業者や事業者に謝罪をしていない)素知らぬ顔をされるんじゃないかな。

福島の方たち、先祖から営々と築きあげてきた財産もなにもかも奪われて、その最大の責任者たちに免責だといわれたのじゃ、堪ったもんでない。

2011年4月28日木曜日

突然への備え、分かっていても

「定年後はゆうゆう自適の生活ですよ」といっていたCさんは、奥さんと二人で800万円の豪華客船の海の旅に出る数日前に、心臓マヒで他界した。心労がたたったのか、間もなく奥さんが脳血栓で倒れ、退院後にボケはじめた。二人とも60代半ばであった。親と別に暮らす子どもたちは、急に未亡人になり頭がおかしくなった母親に会いに来る足が遠のくばかり。たまに来れば財産の生前分与をしつこく口にするようになった。Cさんの奥さんは、今のところ有料ヘルパーを雇える余裕があるが、低い年金の生活者だったらどうすればいいのだろう。

一人暮らしの中高年をいつ襲うかもしれない病気や怪我、特にボケや寝たきりになったとき、公的施設には入れずにいる場合、いったい、「誰が、わたしのおむつを換えるの?」という大きな問題にぶつかる。今のところ考えられる「誰」は、「お金」でしかない。

                 -「たった一人の老い支度」岡田信子著より-

これいつ襲ってくるか分からない震災よりも辛辣で、必ずや近い将来襲いかかってくる多くの人たちに降り掛かる問題。しかし、その備えは誰も出来ていないように見える。言いかえればお金持ちにしかできないこと。

悩みつつ、簡単にはできないことに、せめて笑って過ごすしかない。

2011年4月27日水曜日

痴呆症三段階



初期「昔の思い出は比較的はっきりしているが、今やり終わったことが思い出せなくなる」

中期「人物、季節、時間の見当がつかなくなる。昔のことは思い出せず、日常よく使用する道具の名前が思い出せない。しかし、言葉は普通に話せるので、一見呆けているようには見えないが、失禁や徘徊症状があらわれる」

末期「失禁、徘徊が悪化、ついには寝たきりにもなる」


う~んんん、そこまではなってないから安心だが

しかし、最近は人物の顔はなんとなく覚えているのだが、名前が出てこない。

ひょこっと、いま何をしようとしていたのか分からなくなるときがある。

人に場所を教えようとするのだが建物の名前がとっさに出てこず

説明ができなくなってしまう、なので、「あそこ、それ、あれ語」に陥ってしまう。

これは大丈夫なのかな?

2011年4月26日火曜日

シェフの作る晩餐会



杉浦日向子さんの本から面白い文章を見つけた

憩いという字は、心の上に自らの舌が乗っている。

心と自らの舌。

これは味わうことにより、心身が癒されるということだろう。

飲食のみならず、景色、出合いも味わいだ。

それをひとりでする、ひとりで飲んで、ひとりで行って

ひとり、味わう。

オトナなんだから、ワケないはずだが、案外、みんなしていない。

憩うとは「ひとり」を楽しむ時間のこと。

他人任せの温泉ツアーや、有名シェフの晩餐会でもない。


う~ん、そりゃそうだ、でもシェフが作ってくれる美味しい料理ね~

そんな贅沢な生活、一度でいいからしてみたいね~。

2011年4月25日月曜日

ムラサキケマン



「人間は病の容れものである」

風邪一つ引いたことなく、

医者にも生まれてこの方お目にかかったことがない

なんていう人がたまにいてますが、

なんとも羨ましい

しかし、話をよく聞くとどこかが悪くて

例えば腰だとか、血圧が高いだとか

それでもどうもない、おれは健康だと言う人

最後には頭が悪いんだよっ!で話の落ちになる。

照る日曇る日雨も降れば暴風が吹き付ける日だってある。

不健康や不元気を、なだめすかし、やりすごすのが

結局健康の極意。

2011年4月24日日曜日

アイタタ!


山を歩いていて、突然ふくらはぎに痛みが走った。

その後も、筋肉を伸ばすと痛みが走る

しばらく、休んでみた、痛みは少し和らいだが

同じ状態が続く。

山の上でジッとしているわけにいかず足を庇いながら下山。

ピキッとした痛み、その後の症状から軽い肉離れと判断

今夜一晩冷やしてみて、明日病院へ直行

しばらく運動は禁止か、ちょいと辛いが仕方ない。

ストレッチなどの予防対策はバッチししていたのだが

やはり歳がいくと無理できないようだ。