2011年6月30日木曜日
アメリカデイゴ
感受性の強さからくる苦悩と孤独にはほとんど耐え難いくらいにきつい側面がある。
それでも生きてさえいれば人生はよどみなくすすんでいき、きっとそれはさほど悪いことではないに違いない。
もしも感じやすくても、それをうまく生かしておもしろおかしく生きていくことは不可能ではない。
そのためには甘えをなくし、傲慢さを自覚して、冷静さを身につけた方がいい。
多少の工夫で人は自分の思うように生きることができるに違いない。
キッチンあとがき -吉本ばなな-
今日も気温がグングン上昇し、とうとう昨日越えの34°。
午前中に歯医者でちょこちょこっといじってもらったあと、公園へ。
いくら暑いとはいえ、朝はまだすごしやすい。
大きな樹木がたくさんあって、木陰に入ると、流れる汗もスッと引く。
ダウンウォークの草むらに、なにやら小さな実がたくさん落ちている。
ふと見上げる木にはヤマモモの実がたくさん生っていた。
3粒4粒、つまんで口に投げ入れる。
酸っぱくホロ苦い味が広がり、爽やか。
S・A・R-20*5、ST*2、W30*1、J-TO*2、DS100*2
2011年6月29日水曜日
熱中症寸前
今日は高松で日中の気温が33°に達した。
また熱中症が全国各地で発症した。
千葉、奈良、愛知県で計3人が死亡、東京消防庁管内では44人が搬送。
そんなこととは知らずに、グラウンドへトレーニングに。
昨日の夕方にはサッカーとテニスそれに野球少年たちあんなにたくさんいたのに、今日は誰もいない。
グラウンドの周囲にはアメリカデイゴの真っ赤な花。
青い空を眺めながら、最初の一本目は余裕の走り。
二本目も意識的にストライドを大きくし、まずまず走り抜く。
ところが三本目、最後にヨタヨタ、足がもつれそうになった。
それでも四本目、もうダメ、呼吸困難、酸欠、救急車がいる~。
こんなカンカン照りの日に、わざわざ日中に走るアホ、止めて、バイクに跨がり、涼しいところへ一目散。
やっぱ、こんな暑いときは冷や奴に枝豆と冷たいビールが似合ってるわ。
S・A・R-20*5、ST*2、W30*2、J-TO*2、DS100*2
2011年6月28日火曜日
カヌー犬・ガク
ガクは生涯に一度だけ人間に恨みを持ち、意地悪をしたことがある。
ユーコン川下り三年目の時だ。
ベーリング海まであと一週間というところにあるエスキモー村でカメラの佐藤秀明と落ち合った。
それまで五十日ほど、ガクはぼくと二人きりで過ごしていた。
下流に入ると川幅はぐっと広くなり、ぼくとガクは荒涼とした天地に二人だけで、お互いが唯一の慰めであり楽しみであるという状態だった。
…(中略)…
何日も人間と会わずガクだけと暮らしていると、人間と犬はいつのまにか対等になっていた。
ある時、食い物がなくなり、ぼくとガクは緊急用のビスケットで数日を過ごしたことがある。
厚さ一㎝直径十㎝の大きなビスケットを、一日三枚ずつ食べるのだ。
ガクに三枚やり、ぼくが三枚とり、しかし、それだけでは腹が減って仕方がないので、ぼくはもう一枚取り出して食べようとする。
それをガクがじっと見ていると、自分だけ一枚余分に食べることが恥ずかしくなり、そっと箱に戻すのであった。
あの時、ぼくとガクは多くの意味で平等、生き物として対等だったと思う。
そういう時、ぼくはガクの顔を見て、彼の気持ちがよく判ったし、彼にもぼくの気持ちはよく伝わった。
一匹の犬と心を通わせるということはこういうことなのか。
ぼくは犬の飼い主としては最高の幸福な時間を持ったのだと思う。
そこに佐藤がやって来た。
ぼくは佐藤との再会を喜び、ひさしぶりに日本語を喋った。
ふと気づいてガクの方を見ると、ぼくとガクの関係は対等なものではなく、これまでどおり犬と飼い主の上下関係になっていてガクの気持ちが読めなくなっていた。
それを一番敏感に感じたのはガクでないか。
佐藤が入ってきた途端に、ぼくとガクの完璧な関係は終わったのである。
数日後、ユーコン・デルタの迷路の中に入った。
ある強風の日、カヌーが風に吹きやられて動きがとれず小さな島で一人で住んでいるエスキモーの男の小屋に泊めてもらった。
荷物を船から揚げていると、ぼくの目の前を佐藤の船が流れていった。
慌ててその船をつかまえ、フネについていたロープを調べるとガクの噛み切った跡があった。
ガクは自分とぼくの甘い生活の中に突然侵入して邪魔をした佐藤を許さなかったのである。
カヌー犬・ガク -野田知佑-
犬は一緒に遊んでやれば遊ぶほどおもしろい。
彼の体を触れば触るほどに体全身で喜びを表現する。
他にもイルカやチンパンジーなど頭のいい動物はいるが、なかでも犬は人間にとってもっとも身近な親しい間柄になれる動物だ。
S・A・R-20*5、ST*2、W30*2、J-TO*2、DS100*2
2011年6月27日月曜日
フル・ライフ
カナダやアラスカでは、3700kmにもおよぶユーコン川が蕩々と流れるが、グリズリーやクロクマ、ムースたちが住み、こういう大自然の中では人間は力一杯頑張らないと生きられない。
これを彼らは「フル・ライフ」と呼んでいる。
年老いてきたガク、日本では二度食事をとり、ちょっと散歩に行くだけであとはひたすら居眠りするだけの生活だった。
しかし、ここへ連れてくると、ここでのガクは24時間神経をピンと張り詰め、目に入るもの、大気の匂い、すべてに注意深くなる。
全身の筋肉、知能、経験、五感をすべて使って生きる。
みるみるガクは元気になっていく。
ガクの血が沸き立ち、騒ぐのがよく判った。
カヌー犬・ガク -野田知佑-
犬も人も同じだろうか、大自然の中に入っていくと、同じように血が騒ぎ、五感が研ぎ澄まされていく。
先日、NHKで長生きの遺伝子細胞「サーチュイン」が放送されていたが、なんとなくあれによく似ていると思った。
人だけでなく多くの生物の体内の中で眠り続けている遺伝子、ある環境と条件が整えば、その太古からの遺伝子細胞が突然眼を覚まして活動する。
S・A・R-20*5、ST*2、W30*1、J-TO*2、DS100*2
2011年6月26日日曜日
羊のおなら?
2011年6月25日土曜日
2011年6月23日木曜日
どんな命にも
…前略…
焚き火をして、水辺で拾った貝を焼いて食べる。
夜遅く、テントに入ろうとするとガクが水際に座り、月に照らされた海をジッと見つめていた。
ガクの足許に小さな波がザツザツと打ち返している。
ガクにテントに入るかと声をかけた。
いつもなら尻尾を振ってテントに飛び込んでくるのだが、今日は見向きもしない。
犬にも自然の風情が判るのだ。
カヌー犬・ガク -野田知佑-
この地球という大切な宇宙のオアシスに共に生まれ、共に生き、そして大自然を感じて暮らしている。
山羊もイルカも鳥たちも、ありとあらゆる動物・植物たち、そして昆虫にお魚たち、どんな命も大切に、そしてなによりも生きていることに感謝。
S・A・R-20*5、ST*2、W30*1
2011年6月22日水曜日
2011年6月21日火曜日
2011年6月20日月曜日
2011年6月17日金曜日
キバナノコマノツメ
久しぶりに昔の知り合いのTが訪ねてきた。
実に7年ぶりにお互いに見る顔、それ以上に会ってないような気もしたが、指折り数えるとそんなものだった。
わずか7年とはいえ、懐かしさ一入、わたしも頭髪が薄くなり、目袋もでき、皺も増えた。
彼も、頭髪が真っ白で、初老の色が濃い。
彼の話によって、もう一人の仲間の近況を知ることが出来た。
彼らとは30年以前から、その後10数年間、曲がりなりにも同じ釜のメシを食ったが、どこかで行き違いが生じて、それなりだ。
もう二度と同じ釜飯を食うことはないだろうが、お互いに元気であることがうれしい。
今後も、どこかで顔を合わすことがあれば、もっと、うれしいのだが、そうあって欲しいと願う。
今日は雨が上がり、晴れ間が覗く。
グラウンドに出かけ、身体を動かす。
一汗掻くと、身体の隅々まで新しいエネルギーを取り込んだみたいで、活き活きと清々しい気持ちになる。
S・A・R-20*5、ST*2、F10*2、H10*2、W30*1、J-サグ1*2、DB*3、DS100*2
2011年6月16日木曜日
自由の代償
家で犬を飼っている。
小さい頃は鎖に繋がないで自由にさせていた。
しかし、大きくなるにつれ、近所の手前もあって、繋ぐようになってしまった。
繋ぐ前、繋いだ後、あきらかに彼の目は変わった。
やんちゃだが奔放な動きは、目も生き生きとさせていた。
しかし、鎖に繋いだ後には、目はどんよりとして、性格も変わった。
自由闊達な動きが制限されてしまったのだから当然の結果ではある。
散歩にはよく行くが、やはり首を絞めるリードが悲しく、逆らうことを許されない。
自由にして育ててやれば、彼にとってどれほどいいことか。
しかし、その代償は大きすぎる。
あちこちでうんちもしっこもする。
ご近所の子どもさんに、なかには犬嫌いの子どもさんもいるので、迷惑をかけることが多々起きる。
他所様の屋敷に入ってなにかをしでかす。
そして、もっとも恐れるのは、彼自身への交通事故などによってふりかかる災難。
わたしたち、人間にも同じようなことがいえるかもしれない。
自由が大きければ大きいほど、それと引き替えに危険は大きく、ときには死も覚悟しないといけないこともある。
山も、自由の代償はこれまでの数多くの偉大な先達者が、教えてくれているが、しかし、それでも自由は命のことを考える余地を与えないほどに、素晴らしい魅力を秘めているし、自由とは生きている証なのかもしれない。
犬も場合によれば、それが許されていいと思った。
その場合、その犬はもっとも幸せな犬になるだろう。
迷惑を掛けない範囲での自由の代償は、知恵と工夫で回避できるものは回避し、あとは神・仏のなすがままだ。
S・A・R-20*5、ST*2、F10*2、H10*2、W30*1、DB*3
2011年6月15日水曜日
災い転じて
2011年6月14日火曜日
イワカガミ
イワカガミが満開の時期を過ぎて、散り始めた。
ここ石鎚でも岩場のあちこちで咲いていて、まだ綺麗なピンク色の花弁がうつむき加減で歩く人の目を楽しませてくれる。
そろそろ終わりに近づいているのかな、茎や葉の下に筒状の花弁が転がっている。
なかには切り立った岩陰に咲いているものもあって、吸い寄せられそうになるが、おいそれと近づけない。
この景色を眺めていると、時間が経つのを忘れてしまう。
歩いた時間はおおよそ6時間、肉離れを起こして以来、最長の歩行時間、なんとかここまで恢復した。
この日は急登のところで右足に違和感を感じたが、こんなもんだろう。
鍛えて鍛えて、もう少し歩行時間を伸ばそう。
S・A・R-20*5、ST*2、F10*2、H10*2、W30*1、DB*3
2011年6月13日月曜日
2011年6月12日日曜日
2011年6月11日土曜日
2011年6月10日金曜日
2011年6月9日木曜日
2011年6月8日水曜日
あるつぶやきから
ある方のつぶやき
「自分たちのやることが100%正しいかどうかなんて分からない。分からないからこそ行動しながら模索する」
「自分が正しいなんて堂々と言えるような人を信じちゃいけない」
「自分は正しいと断言してしまうことで、人にウソをつかなきゃいけなくなる。一旦、ウソをつくともう後には帰れなくなる。それがつまり、政治家の歪みの第一歩なんだろうな」
どうやら、そのようである。
残念ながら、認めざるを得ない、それほど政治家に共通した一つの正確な間違いのない見方である。
政治家、どれほど欺瞞に充ち満ちた人たちであろうか。
もちろん、政治家だけに限ったことではない、十分に一般世間にも通用することだ。
気をつけて掛かろう。
S・A・R-20*5、ST*2、W30*2
2011年6月7日火曜日
午睡
2011年6月6日月曜日
里山歩き
2011年6月5日日曜日
2011年6月4日土曜日
2011年6月3日金曜日
2011年6月2日木曜日
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