2010年4月8日木曜日

若さの露呈


「粋な人生」
  
若いときには生意気にも粋な人生を
  
どうすればおくることができるか
  
などと考えていたときがあった。
  
しかし、それはまさしくただの空想で
  
粋どころか、会社でヨタヨタクタクタになりながらの
  
サラリーマン生活。
  
サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ♪
  
植木等さんのようにはいかない。
  
そのサラリーマン生活を終えて、あらためて
  
「粋」について考えてみた。
  
米偏に九十と書くこの字、米は八十八
  
八十八の次は八十九、そして九十
  
昔の人はこれを、「米をやっと食う(八十九)段階から脱する(九十)」
  
つまり、貧乏では粋なことはできない、ゆとりのある裕福な
  
生活を営む人でないと粋なことはできないと決めつけている。
  
すなわち、粋とは無駄な浪費、収入の手段から遠く
  
懸け離れた遊びを指すようだ。
  
それを夢見てたというのだjから、なんとも厚顔無恥(無知)な話しだ。
  
若いということはエネルギー溢れて一直線だが
  
やはり経験も知識も浅はかということかな。

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