伊予市下灘にある高さ6m余りの五重塔。
傍らに立てられてい伊予市指定文化財に指定されている旨の
説明板によると1732年に起きた享保の大飢饉による多くの餓死者を
供養するための塔だと記されている。
享保の大飢饉は1731年末から続いた天候不順に加えて1732年5月~6月
の2か月続いた長雨によって野菜・米の不作と
イナゴなどの大発生によって作物が壊滅的な状況になったためとされている。
瀬戸内を中心に西日本に甚大な飢饉が襲い、相当な餓死者が出たが、
伝えられている餓死者は総数12000人。
しかし、実数はどうだったのだろう。
当時200万人以上の人々を養う食料が必要だが、
大飢饉による食料は60万人分だったと伝えられている。
想像を絶する地獄のような飢饉だったようだ。
神仏に頼よる気持ちが痛いほどわかります。