「粋な人生」
若いときには生意気にも粋な人生を
どうすればおくることができるか
などと考えていたときがあった。
しかし、それはまさしくただの空想で
粋どころか、会社でヨタヨタクタクタになりながらの
サラリーマン生活。
サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ♪
植木等さんのようにはいかない。
そのサラリーマン生活を終えて、あらためて
「粋」について考えてみた。
米偏に九十と書くこの字、米は八十八
八十八の次は八十九、そして九十
昔の人はこれを、「米をやっと食う(八十九)段階から脱する(九十)」
つまり、貧乏では粋なことはできない、ゆとりのある裕福な
生活を営む人でないと粋なことはできないと決めつけている。
すなわち、粋とは無駄な浪費、収入の手段から遠く
懸け離れた遊びを指すようだ。
それを夢見てたというのだjから、なんとも厚顔無恥(無知)な話しだ。
若いということはエネルギー溢れて一直線だが
やはり経験も知識も浅はかということかな。